修道院便り2008年

 

 感謝とともに       Sr  樋口  碩子

本会創立者スール・マリー・デ・ドゥルールが帰天した時、私はアメリカにおりました。ゲスト・ハウスへ休息のため来られたクリュニーの聖ヨゼフ会の Sr マーガレット・マリーという方が、私共のアメリカ最初の修道院を開くにあたって前記の創立者を助け、泊めて下さっていたとのことでしたので、その時の思い出を話していただき、録音しました。そのお話を一部皆様にお分かちしてシスターの善意にあふれた寛大な心、特にアイルランド人の深い信仰をたたえたいと思います。

(以下は Sr マーガレットのことば)

 “ 1955 年私はフィラデルフィアの修道院にいて 240 名の少年孤児たちの世話をしておりました。私はたびたび彼らに次のように言いました。「人生において学ばなければならない一つのことがあります。それは十字架または身体障害など何であろうと、主が私たちに送って下さるものをしっかり受けとめ、そこから最善の可能性を引き出すことです。」と。

ある日、ニューヨークから電話がありました。美しいフランス語で自己紹介をし、私たちのシスターたちをよく知っていること、フィラデルフィア近郊に用事があるのでしばらく滞在させてほしいとのことなので、「はい、マザー、よろこんで。いつおいでになりますか?」「今日の午後。」私は大急ぎで部屋を準備しました。マザーは来られ、健康上の理由で修道会に入れないでいる娘たちに奉献生活を実現させたいとのことでしたから、私はこの方こそ私が少年たちに話していることを生きておられる、と感じました。

 翌朝マザーは司教様に面会に行くのだがフィラデルフィアの街を知りませんとのことで、タクシーで一緒に出かけました。司教館前でおりると、マザーは身をひるがえして入り口へ向かわれましたので、私は代金を払いました。担当のドナヒュー司教様は親切な方で、枢機卿にお会いになるべきだと言われ電話をして下さいました。午後お会い下さるとのことでいったん帰り、出直しましたのでまたタクシー代がいりました。修道院は郊外でしたから。枢機卿はとても良い方で数日後、不動産担当者のところへ来るようにと言われました。この日の支出は 18 ドルでした。夕方二人の紳士が見え、一人は3ドルを他の方は、少年たちにはいつも寄付があるでしょうからこれは共同体のためにと言って 15 ドル下さいました。なんとした事でしょう。 18 ドルが戻って来るなんて、と私は言いました。

翌日も司教館へ行きました。2ドル 50 セントかかりましたが、その日は5ドルいただきましたのでオールライト。次の不動産担当の神父様は業者を紹介して下さり、その人はいくつかの家と土地のアドレスを下さいましたが、タクシーで回るしかありません。私たちは夕食に遅れました。支出は 24 ドル 50 セントでしたが、一人の紳士が来られ「いつもクリスマスには少年たちに寄付をして来ましたがシスターたちには何もあげなかったので、このチェックをお受け下さい。」と…。それは 25 ドルでした。私は共同体の姉妹たちに言いました。「主は、このマザーとともにおられます。彼女の神の摂理への信頼が大きいので私自身も信頼するよう助けられています。私が彼女のために使うお金は、いつもその日のうちに返ってくるのですから。」 もちろん出かける前にはいつもお祈りをしていましたが。

ある日、マザーが寝室へ行かれた後、私たちは休憩しておしゃべりをしていました。シスターカタリナが「今日はいくら使いましたか?」と言ったので「8ドルほどでした。」と言うと皆は、「それじゃあ今夜は返ってこないでしょう。」と言ったので「いいえ、何が起きるかわかりませんよ。私はまだベッドに入っていないのだから。」と応えて少年ホームの病室がある棟へ行きました。いつも2、3人の病人があったので隣室で休んでいたのです。ドアを開けると下に封筒があったので開いて見ると次の手紙が入っていました。「シスター、私は少年のころここにいましたが、ある時ミッションボックスからお金を盗みました。今は就職して給料が入りますので、盗んだお金を返したいと思います。」そして、それは8ドルでした。「まぁ!シスターカタリナに言わなければ。大沈黙の時間だってかまわないわ。」そこで電話をしました。彼女は大いに笑いました。 

マザーは、郊外のデボンという町の一番ほこりっぽい家を手に入れることにされました。土地建物の代金はミセス・グレイス(実業家の夫人)が払って下さるのですが、他にもたくさんすることがありました。少年たちは数回そうじ道具とともにトラックに乗り込んで一日中家を磨きあげてきました。コロンブスの騎士会はベッドを6台くださいました。一番大きな部屋を、「ここがチャペルです」とマザーが言っておられたけれど中には椅子一つなかったのです。

 さてマザーは「私はニューヨークへフランスから来るシスターたちを迎えに行きます。お金がありません。」と言われるので私はイースターにいただいたお小遣いの最良の使い道だと思い往復切符と4人のシスターたちの切符を買って渡しますと、「ノーポケットマネー」とのこと、「事務所へ行って借りてこなければ…」と私が言うとシスターカタリナが、少年たちの不時の出費のためのボックスにお金があることを思い出させてくれたので開くと 50 ドルありました。それをマザーにあげました。彼女は「金曜日にもどって来ます、聖堂を準備して下さいますか。土曜日にはミサがあります。」と言って、出かけられました。その日私はシスターリタを病院へ検査のため連れて行きました。タクシーの中で前年の検査値を調べていた時、ガタンと車が大きくゆれて止まりました。歩道に乗り上げたようです。「シスター大丈夫ですか、けがはありませんか。」「いいえ、何でもありません。急いで下さい。私たちは病院へ行かなければ。」「どうぞ監督が来るまでお待ち下さい。」「いいえ予約時間に遅れます。急いで下さい。」とにかくタクシーは動き出しました。夕方病人の世話をしているとイエロータクシーの弁護士が会いに来ました。「私は裁判所へ出かけるつもりはありませんよ。何も見ていなかったのですから。」と言いますと、「裁判にはなりませんが、私たちは社長に心配をかけたくないのです。どうでしょう。 50 ドルで示談にしていただけませんか?」ということで、マザーのポケットマネーはこの日返って来ました。

 トラックの運転手の機転で古道具の修理をしている別の少年院から祭壇ベンチその他の家具をいただき、ドナヒュー司教の紹介で 2 、 3 の修道会から祭具類祭服などをいただいて、すべてがそろいました。

 マザーがシスターたちを連れてもどられる日、少年たちは最後の磨きをかけ食料品をキッチンの棚に並べており、私はベッド・メイキングをした後、到着されたシスターたちのため、 "WELCOME" と字を入れたケーキを取りに行きました。お皿だけでケーキがありません。「私が持って来たケーキはどうなったのでしょう。」と言うと「シスター、僕たちお腹がすいていたんです。」との返事。「おお!働く者は報酬に値する!」と私は言いました。シスターたちは待っておられましたが…。

 とにかくマザーの神への信仰は本当に大きく真にインスピレーションに動かされていた方でした。

 

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