修道院便り2008年 

 民数記に学ぶ      Sr  金井 玉枝

今年1月から3月にかけて信濃町の真生会館でおこなわれた、 M 先生の民数記の講義を8回受講させていただきました。永続養成コースの一環を利用させていただき、修学期の姉妹と二人で毎金曜日出かけて行きました。

民数記はモーセ5書の4番目に当たり、イスラエルの民がモーセに率いられて奴隷の地、エジプトを脱出して 40 年間荒れ野をさまよい、約束の地に突入するまでの旅路の出来事をヘブライ語原典を用いて事細やかに描写していただきました。

修道院へ戻ってから、読書課の第1朗読で、習ってきたばかりの民数記を読む機会が訪れました。道のない砂漠をモーセに、つぶやきながら導かれてゆく 60万のイスラエルの民の姿は今の私の姿そのものを見ているようにも思えました。この旅程の距離は1週間でゆけるほどの物だったそうです。 40年間もそこにいたのは、奴隷根性になりきっていた世代が終わり、屈強な若者の世代がおこるのを待って、約束の地へ突入するためでした。約束の地に突入するために腰を落ち着けていては入れないのです。敏捷に応じる心構えを持ち、神に身を委ねて行かなければならないのです。

イスラエルの民が背信の行為に陥ったとき、大祭司アロンの孫のピネハスは神と同じ激情を持って神の怒りを去らせ、神から平和の契約を授かりました。この平和の契約は、ノアの洪水物語の集結に神が出された虹の印によって示されました。この虹は、天に弧を描いて天と地の間にかけられています。虹の形は、戦争の武器、弓なのですが矢はありません。もし矢を弓につがえて射ったとしても矢は天に向かって飛ぶだけです。すなわち人間に放たれることは無いということを意図しています。

「神は平和を約束される。その民、神に従う民に。」

聖務で歴史詩編を唱和しているとき神の情熱が身にしみてイスラエルの民に親しみをおぼえるようになりました。


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