修道院便り2009年

 

  〜〜「神様、この二ヶ月のフランス滞在を下さったのは、どうして?」〜〜
      Sr  船田 由美


答えをいただくまで問い続けました。
「わたしを忘れないで、いつも わたしと共に生きてほしい」主の、このことばはわたしの心に素直にストンと落ちました。この答えをいただいた時、わたしはどれほど疲れていたか、どれほどがんじがらめになっていたか、どれほどが我で生きていたか、どれほど心が鈍く冷えていたか・・・に、気づかせていただきました。いつのまにか主を忘れて生きていました。そういう自分になっていることにも気づいていませんでした。気づかせていただいたら、あとはわたしを待って下さっている御方のもとに帰るのみです。愛されている者はその帰り道をよく知っています。心を大きく開いて急いで帰ります。愛そのものである御方のもとへ。愛に気づくとわたしは変えられます。再び主の命で生きはじめます。主の内に生きる真の喜びをいただきます。
 この二ヶ月、わたしの出会ったフランスは、ゆったりとした時の流れの中で、優しくわたしを抱き育んでくれました。
 ブルー(本部修道院の所在地で、パリのすぐ近くです。)に滞在して、お天気の良い日に行うわたしの日課(?)は何だと思われますか。それは高い建物の四階の修室から網戸の無い大きな窓を開いて空を見上げることです。大きな青い空を飛行機が思い思いに(いいえ、ちゃんと道はあるのでしょうが)気持ち良さそうに飛んでいるのです。白い美しい飛行機雲を優雅になびかせて、楽しそうに飛んでいるのです。飛行機雲は、十字架を描いたり、一直線であったり・・・。わたしの心は大きくゆったりとし、このひと時を楽しみました。

 修道院の教会の鐘の音は、ミサと聖務の時を告げる為に、街中に鳴り響きます。「ミサですよう・・・朝の祈りですよう・・・お告げの祈りですよう・・・」って。それはそれは、嬉しそうに喜んで鳴り響きます。大きな祭日には、もう一つ鐘の音が加わり、晴れやかに、もっともっと嬉しそうに美しく鳴り響きます。日本のお寺の鐘は心奥に深く降りていくのを助けてくれます。西と東、鐘ひとつとっても違います。でも同時に豊かさですね。

 聖堂や教会は、まず建物が建てられてその中に清い祈り、澄みきった光が満ちていくように思います。修道院の教会が建てられてまもなくの頃、そこで数日間、祈りの日々を持ちましたが、あれから九年余り経た今回そんなことを感じました。

 レクレーションの時間、ことばはよくわからなくてもそこに共に在る喜び。共同体の輪の中で共に過ごす時間。「一致」を感じました。それは幸せな時でした。

 総長Sr.ゴッドフリーダは、わたしが日々元気で幸せに生きているのを心から喜んでくれました。総長は、会員一人ひとりが、主と共に真の幸せを生きることのみを祈り願ってくれています。わたしは、入会まもない頃に「本会は一人ひとりをとても大切にしてくれる修道会だな。」と実感しました。今回の滞在でもそのことを深く思いました。神様、ありがとう!


照らされて どこまでも歩きたくなる 寒満月

よう降るねえ
ほめると よろこび 春の雨 雨音 高くし なお降りしきる

玉すだれ 花ひとつつけし 清さ こぼれる

冷たい雨降る駅前で「おかあさん」やさしい声が うしろから・・・
走り寄り 交わすほほえみ声かけた人は お嫁さん「小さい車ですが・・・」
いたわる姿は ひとつの傘に「おかあさん」
冷たい雨降る駅前に、幸せひとつ咲きました
                            

 

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