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 修道院便り2010年


 あるがままの奉献生活  Sr.本田由利子

 私達の会は、1930年に創立されました。創立者のノートル・メール(仏語で私たちの母という意、親しみを込めて私たちはこう呼んでいる)は、とても進歩的で広い心を持っておられたと思います。

私達会員は、わざわざ修道女らしく振舞わず、あるがままの自分で居るように育てられました。ノートル・メール自身が厳しさを保ちながら、その一方自然体でとてもお茶目なところがありました。

ノートル・メールの晩年、私は立場上「ノン・マメール、それはいけません」と言わねばならぬ事がありました。ある夕食後ノートル・メールは若い看護係の姉妹に連れられて、自室に戻るところでした。若い姉妹には少々我ままも通せると自認しておられたので、私は後ろから付いて行きました。彼女はしきりに「Sr由利子はうるさい厭なやつネ」と訴えているところでした。何気なく後ろを振り返って、私がニヤニヤしながら付いて来るのを見て「アラッ!マア!!」と大仰に驚いて見せ、結局三人で大笑いしてしまいました。

 このような雰囲気の中で生きてきた私達は、皆個性的つまり欠点だらけの者同士で、入会当初私は「うあー大変な修道院に来ちゃった」と戸惑いましたが、でも此処を去りたいとは夢にも思いませんでした。とても自由で開放的で安心出来る、矢張り本物の姉妹愛があると思わせる、底抜けの明るさがあったのです。

でも若い時には、お互いにぶつかり合い転んだり痛い目にあっていたのです。
年月が経ち、自分自身歳を取り様々な体験を積み、気付いた時外見は何も変わっていないのに、何かが大きく変化していました。それは先輩や、同輩の姉妹達が内から輝いて見えるのです。相変わらず昔と同じ欠点を一杯持ちながら・・・!

知識深く優れた立派な姉妹達ではなく、小さな謙遜な己の盲目を自覚している、そして此の世の修業を終えた彼女達は、自分では全然気付かない程謙虚になって「自分はとんでもない問題児だった。神様のみ前に空手で出るしか無い。」と述懐しつつ、朝まだき、露を宿す花のように心が神様に向かって開いている姉妹達は、永遠のみ国に旅立って行きます。

こう云う模範を数知れず見て来た私は、私もやがてあんな風になれるかも知れないと云う、不可能を可能にして下さる主に向かって希望を胸に抱いて励んでいます。
 

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