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 修道院便り2010年

 

 香を焚く  Sr.大場幸子

  『神よ、速やかにわたしを救い出し、主よ、わたしを助けてください。

“わたしの祈りを御前に立ち昇る香りとし、高く上げた手を夕べの供え物としてお受けください。” 栄光は父と子と聖霊に、今もいつも。いま、在り、かつて在り、また来られる神に世々とこしえに。アーメン。アレルヤ。』(“ ”の部分は詩編141:2 新共同訳聖書)

 週務者が、晩の祈りのはじめを先唱すると全員が、主よ・・・と続け、アレルヤまで歌います。その間に“喜ばしい光”(Joyeuse Lumiere)を全員が歌うなか、週務者は香を持って祭壇前まで進み、香を高く上げて捧げます。その後、祭壇のローソクに灯をともし、イコンが置かれていればそこにもローソクを灯します。
 香が献げられる日は、主日の前晩と祭日、それに本会における主の祝祭日にも献げられ、私は祭日に、香を捧げる役目をいただいていますので、その香の立ち昇る香りと共に自分自身を捧げることが出来る喜びがあります。

煙となって昇っていく香のかおりは神への賛美を意味する。″(聖書思想事典)。香の煙は真っすぐに昇り天井にひろがります。ある時は、両側の歌隊席の前にただよい神秘的な雰囲気をただよわせ、そこに神の現存を思わせます。

 時課の典礼に、私たちは全存在をうちこみます。「神のわざ」である時課の賛美は、教会から受けて教会の名において果たされる教会のわざです。聖務の挙行は、神との一致、人々への奉仕の非常にすぐれた手段で、歌隊が一つとなるよう、各自心が声と調和するよう自己放棄を前提とされます。回心の場であると同時に、完全な喜びの場です。主のあわれみと真実にあふれて歌い、喜びに心をはずませて主に仕えるようにと、たえず励まされているのです。

 聖務の時課は、み言葉を共同で聴いて受け入れ、そのみ言葉が嘆願となり賛美となって神に戻ってゆくことです。(会則 時課の賛美のいくつかの項目から数箇所抜粋)

私たちは日々これらのことを心に潜心のうちに準備し、尊敬と愛をこめて、神への賛美を献げています。

 みなさま、このすばらしい教会の祈りをご一緒に唱えませんか。

  天晴れて青し、澄みて高し、想いやる神御座に香を焚く″

  初誓願のときいただいたお祝詞とともにあったカードに書かれていた句です。今の私の心境です。(この句がどなたの作なのかわかりません。ご存知の方いらっしゃいますか。)

  9月、2人のシスターの帰天に、通夜から納骨式まで、野口神父様の司式による葬儀において何度も献香がなされ、献香と聖水によって潔められた2人は、香のかおりとともに天の御父に喜んで受け入れていただいたことを、厳粛のうちに行われたすべての式を終えて実感しました。


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