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修道院便り2010年


 割り込んでいいの?  Sr.関 雅枝


二度にわたって誘いを受け、それではと割り込ませてもらうことにした。2003年の暮れに一時帰国して、修道院便りに飛び入りさせてもらった。それから既に7年も経っている。月日の経つことの速さ文字通り“光陰矢の如し”である。

さて私の属する修道院では過半数が80歳以上の姉妹たちで構成され、社会にいたら孫がいて当然の私も下から4番目という若さ(?)を誇っている。とは言え障害のある身なので姉妹たちの助けを借りながらの日常生活だが、相互援助の兄弟的生活は本会の宝だと思い感謝のうちに生きている。毎朝朝食のときコーヒーに湯を満たしたり、ジャムを皿に盛ったりしてくれる姉妹はまもなく98歳になるが、目も耳も足も達者で、本会初の100歳を迎える姉妹になるのではないかと言われている。彼女はつい3ヶ月前まで典礼のオルガン伴奏をしていた。その姉妹にまつわる話を分かち合いたいと思う。

それは聖体の祭日の出来事で、丁度伴奏の週番に当たっていた姉妹は聖体の祭日の第一晩課にちょっとした思い違いをして、その週の金曜日に当たるイエスの聖心の祭日の伴奏を始めてしまった。歌隊はビックリして一瞬のパニックとなったが、気が付いた彼女はあわてて本を取りかえ、あと無事に聖務は挙行された。しかしそれは姉妹にとって大ショックの出来事で、その晩考えに考えた彼女は、翌日院長、典礼係、典礼聖歌係りを巡って、“大きな失敗をする前に今週をもって伴奏の仕事から手を引く”と引退宣言をした。実は少し前から共同体は、彼女が間違えるようになってきたのに気が付いていた。しかし日ごろから“私は歌えないけど指で神を賛美するのよ。オルガン伴奏は私のいのちなの 。”と言っていた彼女を思いやって、“彼女のいのちを取り上げてはいけない、自分から言い出すまで続けてもらおう”と思っていたので、その機会に引退受理という運びになったのだが、97歳まで現役のオルガン伴奏者とそれだけでも大したものだと思う。イエスの聖心の祭日は彼女のフィナーレとなった。涙ながらにいただいた恵をお返しした姉妹は、今鈎針で毛布を編み、教区で企画している貧しい国への援助グループに作品を送っている。

こんな何でもない話を紹介するのは、何でもない話の中に福音の教えが一杯含まれていると思うからである。世の中には地位や名誉、果てには金銭などにしがみついて,どうしても手離せない人が結構いるが、掘り下げてみると手離しの難しさ、辛さというのは人間である以上皆が体験するのではないだろうか? 規模の大小に係わらず、慣れ親しんで来た人や物、そして仕事、役割を平和のうちに手離すことはそんなに簡単なことではない。いただいた恵を神にお返しすることは即死につながる。それが高齢のゆえとなると、死への直接的前奏曲にも聞こえるので余計痛むのではないか? 高齢の姉妹たちと一緒に生活していて痛切に感じる。
ヨハネ二三世の魂の日記を若い時に読んでいたく感動したことのひとつに、彼は五十代から年の黙想のたびに死の準備をしていることがある。毎日の小さな手離しの行為は、小さな死であり、大きな死の準備になる。私はオルガン伴奏を手離した姉妹の涙がとても尊く感じられた。今この世界のどこかで、何かを手放そうとしている人の力、支えとなるならそれは“聖徒の交わり”に他ならないと思い、祈りをこめて彼女と一緒に泣いた。

ところで私達が主と仰いでいるお方は神であることを手離して、この世に来られたのだから、これ以上何も手離すものが無いはずにもかかわらず、十字架上で更に手離すことをされ続けた。御父との親しい交わり、母上、そしてご自身の命・・・ そのお方は“わたしに従いなさい”とひとり一人の弟子に言っておられる。弟子の一人である私が次に手離すよう招かれているのは何かな?と思いつつ割り込みの文に終止符を打つ。


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