目次へ戻る
 修道院便り2010年



  いのり  Sr 鈴木喜代


 猛暑が続いた夏が過ぎ、秋になった。この一年さまざまなイエスさまとの出会いがあったけれど、その中で、とても感動した詩に会ったことを分かち合いたいと思います。


 素潜りの漁師   舟越直木(彫刻家)

制作者は素潜りの漁師のようなものである。
彼は岩の上に座り、風向きを見、潮の流れ、海水の温度、時間、気温
すべてのことを頭に入れて、魚を捕らえようとし考える。
しかし、それは陸の上での思考であり、魚は海に飛び込まない限り
絶対に捉えることはできない。

陸の思考は海の中で起こりうることとは別のものであり
陸の上での思考が海中での行動のすべてを決定できはしない。
海の気配が前日の漁とまったく同じに見えても
同じところに魚がいるとは限らない。
同じ海が二度とあらわれることはない。

ときには完璧とも思える見通しを立て実行に移し
海に飛び込んでも、なにもとれないこともあるだろう。
私は今までにつくってきた作品の背景に
どのような海の状況があったか、
今では思い出せないものが多くある。

漁師は、昨日の漁よりも今日の漁を考えるであろうし
今日の漁が終われば明日の漁を考えるであろう。
しかし、次の漁に過去のすべての漁から学んだことが
いつも力になってくれるとは限らない。
そうだとしても、あなたが漁師であるなら また海に戻っていくべきだ。


 冒頭の制作者・・・を、私の修道生活に置きかえてみると、日々の生活を通して私の心象風景として迫ってきました。私たちの生活は祈りと働き、その働きは日常生活の単純な役割を担いながら、主の歩まれた道を行こうとしているけれど、潜れずに水面上でもがいている私、日 常に徹しえない私、坐りこんでしまいたくなる私、さまざまな私を思った。特に最後の行が心に響き、えもいわれぬ喜びと励ましが与えられたことに感謝したことでした。


2010年  修道院便り  目次へ戻る


Copyright (C) 2007. 十字架のイエス・ベネディクト修道会
Congregation des BENEDICTINES de Jesus Crucifie Monastere Regina Pacis. All Rights Reserved.