目次へ戻る 
 修道院便り2010年


 なぜ、私は観想修道女になったのか  Sr.Veronica 高橋和子 


自分と同じように生きる希望を見出せず、暗闇、絶望の
中にいる人々に神様とイエス様の存在とその愛に生きる
喜びを伝えたかったから!

22歳のとき生きる目的を見いだせず、自殺さえも考えつつ釜石カトリック教会を訪ねて、イエス様に出会い、生きる喜びを見いだして以来、この喜びを一人でも多くの人に伝えたいと切に思うようになりました。  
そして、JOC(カトリック青年労働者連盟)の会員となり様々な活動をしました。職場で、街頭で、あるいは一軒一軒個別訪問をして「新世界」といふ新聞を売ったり、または青年の集いをしたりして神様の存在、イエス様の存在を知って生きる喜びを伝えるよう努めました。しかし、自分の力の限界(精神的にも肉体的にも)を強く感じはじめました。そうこうしているうちに修道生活の存在を知るに至り、指導司祭であるヨセフ神父様に「この私でも修道院に入れるのでしょうか」とたずねました。「どんな修道院に入りたいのですか」と問い返されて「どんなって・・私は修道生活についてはまだよく知りませんが・・」と答えると幼きイエスの聖テレジアの本、「小さき花」の本を持ってこられ「これを読んで決めてください」と言われました。

「ヨシュアは、モーセの命じたとおりに実行し、アマレクと戦った。モーセとアロン、そしてフルは岡の頂きに登った。モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下すと、アマレクが優勢になった。モーセの手が重くなったので、アロンとフルは石を持ってきてモーセの下に置いた。モーセはその上に座り、アロンとフルはモーセの両側に立って、彼の手を支えた。その手は日が沈むまで、しっかりと上げられていた。」(出エジプト記17章)

1969年11月5日入会しましたから今年で41年になります。イスラエルの民が約束の地に入るためにした40年の旅よりも長くなりました!今思うには、自分がこの道を選んだのではなく神様から与えられ、今まで導かれてきたということです。ただ深い感謝があるのみ!

弱い私は多くのかたがたのお祈りとその他の助けがなければ、与えられたこの使命を果たすことができませんでした。今、心を新たにし感謝いたします。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

私の魂よ、生涯神をほめたたえよ、アレルヤ!    
すべての人が希望、喜び、愛のうちに人生を歩めるように。アレルヤ!


2010年  修道院便り  目次へ戻る


Copyright (C) 2007. 十字架のイエス・ベネディクト修道会
Congregation des BENEDICTINES de Jesus Crucifie Monastere Regina Pacis. All Rights Reserved.