メニューに戻る


あの日以来のこと


                         Sr.Veronica 高橋 和子


このお便りを読んでくださる皆さんはどんなお気持ちで新年を迎えられるの
でしょうか。
 2011 年3 月11 日の東日本大震災は日本中の人ばかりではなく、世界中の
人々に様々な思い、問を抱かせたことでしょう。
 私は岩手の釜石市に住んでいて、釜石のカトリック教会で洗礼を受け、そ
こから今の修道会へ、皆に見送られて出発しました。40年以上も過ぎた今
でもそこの一員であるかのように助けや励ましを受けております。ですから、
ニュースで津波の被害の様子を知ったとき、また、その被災地に日本中から、
外国から多くの人々が即座に援助に駆けつける様子を見ながら、私は居ても
立ってもいられませんでした。物質的にも体力的にも無力な私には何一つ役
に立てず、途方に暮れ、ただ、神のみ前に座り、手を合わせるのみでした。

 「すべての人の父である神よ、このような状況において、無力な私のなす
べきことはなんでしょうか。また、私にできることはなんでしょうか。」
 このとき、分からせていただいたことは、今いる場で、つまりこの修道院
において任されている修道者としての使命を忠実に生き続けること以外にな
いということでした。それで、他のあらゆる人々の社会における使命に一致
しつつ、私は再出発しました!この時以来、心に響いている私たちの会則の
いくつかの言葉をここに記してみたいと思います。

 「すべての人への神の愛、貧しい人々に示される特別の慈しみへの信仰か
ら、本会は誕生した。」
 「神は私たちをキリストにおいてお選びになりました。・・・それは神が
その愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、私たちがたたえ
るためです。」(エフェソ1,4−6)

「十字架の神秘によって照らされ生かされている私たちはきょうだいの苦し
みや、時には人々の絶望的な闘いを、自分自身の弱さのうちに負い、この生
活から生じる平和と喜びを通して、勝利の十字架がいつも唯一の希望である
ことを証しする。」

「社会と私たちとの断絶は現実であるにもかかわらず、社会との深い交わり
のうちにとどまっている。万事から離れて万人と一致している行者のように
私たちは現代の人々の探求、希望、苦悩に対して、心も精神も開いている。
そして、キリストのいけにえと一致することによって、実を結ぶために地に
落ちて死ぬ一粒の麦として、人々の活動に協力する。」

「私たちは各修道院所在地の教会と一致して、地域社会への仲間入りと、そ
こでの私たちの使命達成の在りかたを検討する。単純で真実なつき合いによ
って、その環境で友好関係をつくることができる。いつも私たちの生活様式
をわきまえたうえで、人々の実際的ニーズに心を配る。」

「人生行路でキリストが出会わせてくださるすべての人に十字架からくる光
と復活された御方の喜びを伝えたい。しかし、愛は可見的なものの限界を超
える。イエスの命を使い尽くさせた熱心は私たちの心にも燃えている。それ
は、『キリストの顔にある神の栄光の知識』がすべての人の上に照り輝くた
めである。」

 大震災やその他の災害に遭われた皆さん、また、様々な形で支援に励んで
いる皆さん、この九十九里浜の海辺の小さな町で私も皆さんと心を一つにし
て十字架上のイエスのもとに、じっとたたずまれた聖母マリアとともに、深
い信頼と希望をもって祈り続けております。

 人智を超えた大自然の出来事をとうして「私があなたがたを愛したように、
あなたたちも互いに愛し合いなさい。」とイエス様が言われたように、どの
人もお互いにいたわり合い、助け合い希望に満ちた社会が築かれますように!


 メニューに戻る