メニューに戻る

"善きサマリア人"との出会い

Francisca 岡島静代

 9月に私はフランス本部に会議のために一か月滞在しました。
 日本へ帰る前の日曜日のことでした。タンザニア人の若いシスターと一緒 に、入院しているシスターをお見舞いにパリまで出かけました。帰りに近く だからとシャン・ゼリゼに行ってそれからモンマルトル大寺院にメトロで行 くことになりました。

 モンマルトルのこの教会は私たちの修道会の発祥の地なので、お参りした かったのです。ところがメトロから地上に出るのに気の遠くなるほどのらせ ん階段を昇らなければなりません。もうすでに脚が相当疲れていた私は途中 で上がれなくなりました。でもあと少しというので、やっと地上に出ました。 でもそれが初めだったのです。そこから坂をずっと上がって行きましたら、 又目の前に長い高い石段があったのです。私はそこで、もうあきらめかけた のですが、もう一人のシスターは脚もいいし元気だし、ここで引き返すのは 残念そうだったので、なんとか昇りはじめました。

 ところが、途中私は急に胸が苦しくなり、すごく具合が悪くなってしまい ました。今までに経験のない苦しさでした。どうしたのだろうと倒れないよ うに、手摺りにしっかりつかまっていました。日曜日だったので、観光客が 大勢いました。すると、ひと組の夫婦が近寄って来て、どうかしましたか?と。 私は何も言えずにいたら、「すぐにしゃがんだほうがいい《と私を石段に座 らせてくれました。でも石段はあまり広くなく大勢の人々が通るのに邪魔に なり、大抵の人たちが迷惑そうに見て通り過ぎて行きました。

 奥さんのほうが、砂糖を口に入れて水を飲んだ方がいいと言ってくれまし たが、砂糖はもっていませんでした。すると、その方はどこかへ探しに行っ て砂糖を手に入れてきてくれました。それを口に入れて水を飲み、しばらく すると胸の苦しみも和らぎ気分も良くなったので、もう大丈夫です、と言っ て別れようとしたのですが、少し休んだ方がいいと言われ、路上の端に座っ ていました。

 もう、モンマルトルに行くのはあきらめて帰ろうとしたら、そのご夫婦は メトロまで、一緒に行ってあげると言うのです。両脇から私を支えて歩いて くれました。人混みのために私たちだけだったらなかなか前に進めなかった でしょう。3 人の子供たちもいやな顔一つせずにニコニコついてきてくれま した。

 メトロのホームを歩いていたら、今度は私の脚がひきつって、ものすごい 痛みがきたのですが、少し休んだら治りました。私は恥ずかしさと惨めな気 持ちになっていましたがそのご夫婦はそれで、ますます私のことを心配して くれて、東駅まで一緒にいってあげましょう、と言って下さったのですが、 私は申し訳なくて、大丈夫ですと言ったのですが、やっぱり、一緒について きてくれました。道々お礼を言うと「当たり前のことですよ《と何度もおっ しゃいました。

 その上、私たちがお金を一銭も持っていないと知ると(修道院を出るとき にお財布を忘れて来てしまったので)何かがあったら困るでしょう、と20 ユーロ札もくださったのです。東駅でお別れしてから、涙が止まりませんで した。言葉もありませんでした。

 イエスが語られたたとえ話の善きサマリア人に本当に出会ったのです。本 当に素晴らしい家族でした。優しい家族でした。もし、東京で、外国人が具 合が悪そうにしているのに出会ったら、私は一体同じようにできたでしょう か!
 その日の夜、奥さんは私たちが無事に着いたかどうか電話もかけてくださ ったのです!


  イエスはあるたとえ話をなさった。
 「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。
 追いはぎはその人の朊をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。
 ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って  行った。 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
  ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思  い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れ  て行って介抱した。
  そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言っ  た。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』
  さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと  思うか」
  律法の専門家は言った。「その人を助けた人です」 そこで、イエスは言われた。  「行って、あなたも同じようにしなさい。」 
ルカ 10:30~37



メニューに戻る