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4. 真珠の宝

Sr.服部美智子


 今年の10月から始まる「信仰年」に寄せて、私は自分の信仰を振り返ってみました。
信仰は神の恵みの1つだと思います。神は何かのきっかけを使って、信仰に導くこともあるようです。
私の場合、人生の意味、生きる目的を探し求めていた10代の後半、一人の友人の生き方を通して教会に導かれました。その人を通して神を信じて生きる喜びが伝わってきて、私も信じて生きたいと望ませたのです。
 それから50数年、困難なこと、苦しい事も勿論ありましたが、心の奥底はいつも神に守られているという確信があり、その中で、自分が出来ることを精一杯果たして生きる時、信仰の無い時感じた不安、深い淵に落ち込むような恐怖はありませんでした。

 聖書に出てくるたとえの一つに、良い真珠を捜し求める商人は、高価な真珠を一つ見いだすと、全てを売ってその真珠を買う。その真珠が私の信仰です。

 その信仰のお陰で、私は修道生活に進めたのです。私は洗礼の準備の時期、教会の図書館で「リジューの聖テレジアの自叙伝」の本を見つけ、貪るように読んで確信したのです。“私の生きる道はこれだ!”と。そして勉強していくうちに、修道会には活動会と観想会があることを知り、私は、聖テレジアのように、祈りを中心とした生活、観想生活を望みました。

 今考えると、神はあらかじめ私の道を用意し、私がこの道を全うするために必要な助け手を、要所要所でいつも与えて下さっていました。私自身は何の取り柄も無いのに、神はそのままで良いと、丸ごと受け止めて下さっています。
この幸せな生活(苦しみや困難もありますが、喜び、平安も大きいです。)を、多くの人に知って頂きたいと思います。

 『神のはからいは限りなく、生涯私はその中に生きる』


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