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5. 電光石火の改心

Sr.本田由利子


 中学生の頃、私は蝶々のように、フワフワ、ヒラヒラおしゃれをしながら楽しんでいました。
しかし間もなく思春期に入り、深刻に思い悩むようになりました。「真理って何?」「真実な愛って此の世にあるの?」と。この二つの問いに答えて下さりそうな先生とか先輩達に、聞いて歩きましたが、その答えは「そんなくだらない事に悩まず、若さを楽しみなさい。」と言う事でした。

 これがくだらない事?大人が真剣に相手になってくれないため、私は段々鬱状態に入って行きました。暗い顔をして家に閉じこもり、家人が居ない時には二時間も泣いていたり・・・。


 そんな或る日、私は鉄道事故に会い両脚を切断しました。私を知る人達は皆「大変だ、彼女はもう生きる勇気を完全に失うだろう」と。激しい肉体的苦痛が終わった時、又私の心の悩みが戻ってきたのですが、そんな、或る日、お見舞いに来て下さった婦人が、私の心の痛みを話すと「又すぐ来るわ」と言い、二、三日後に「家庭の公教要理」と言う500ページ余りの大きな本を持ってきて下さいました。

 一頁目を開いて読んだとたんに、私の心は叫び声をあげました。
「これ!!これよ!!」私の知りたかった事が書いてあったのです。「神様は唯一、真理であり、真実な方である・・・その御独り子イエズス・キリストは、悩み苦しむ私達を救うために、十字架上で死なれた等々。」「この神は三位一体で、その中にまことの愛があり、私達をもこの愛の輪の中に入れるように望んでおられる。」「御聖体の秘蹟がある」三位一体だの秘蹟だのと言われると、もうわけがわからなくなってきましたが、それはかまわない、とにかく真理と愛の神様なのだから、丸ごと全部受け入れます。と言う心で寝食を忘れて読み進みました。
そして神様に最もよくお仕えするために「観想修道生活がある」とも書いてあり、私は即座に、これが私の進む道だ、と決定しました。

 ところが私のように、大きな障害を持つ者を受け入れる修道会は日本には無く、フランスにあると聞いてフランスに行く事にしました。勿論、様々な困難にぶつかり、入会を実現させるために五年かかりましたが、とにかく入会したい熱望にかられていきましたので、一つひとつ忍耐強くクリアして行きました。

 これ程神様のものになりたいと熱望していたにもかかわらず、いざ父の元を離れる事は、死ぬよりも苦しい事だと感じました。家人が居ない時には、毎日父の寝巻に顔をうずめて泣きました。いよいよ出発最後の夜は、一晩中一睡もせず泣き明かし、朝、顔を洗っても瞼が腫れて良く目が開けませんでした。
もしこれが一人の男性のためだったら、私はこれ程の苦悩を乗り越えてまで、家を出ようと思わなかったでしょう。

 以来半世紀余り過ぎましたが、心の底では深い喜びに充たされて生きております。

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