メニューに戻る

7. 生きる喜び

Sr.Veronica 高橋 和子


 今、新しい年をまえにして、イエス様に出会えた喜びと感謝で満たされたあの日のことを思い出しています。あれから53年経った今、あの時以上に、「イエス様を多くの人々に伝えたい!」という思いで心がいっぱいです。そして、この私の思いを最大限に実現できる場として、神がこの修道院に招いて下さったことにも感謝の気持ちを新たにしております。
 教皇ベネディクト十六世が「キリストと出会うことの喜びと新たな熱意をますます示すように・・・」と呼びかけておられる今、私は修道会の創立初期の頃の資料、文献を読み直し、頂いた使命をより徹底して生きられるようになりたいと切に願っています。

 私は公会議開始の三年前、1959年に洗礼を受け、それから十年後、公会議が終了した後、1969年11月5日に修道生活の第一歩を踏み出しました。この時期は公会議によってもたらされた大変動の最中!あらゆる分野でそれまでの在り方を見直すように呼びかけられている時でした。私が入会したときは、本会でもそのための臨時総会を終わった直後で、あれこれと、会則や生活の見直しがされている時でした。公会議によって、全ての修道会によびかけられたことは、「創立者のカリスマに立ちかえれ」ということでした。
 それで、「信仰年」にあたり、もう一度あの時のように創立者の意向に深く分け入り、この召された道の歩みを新たにして生きたいと願っています。



          会則からの抜粋

※  「御父は、その独り子をお遣わしになったほどに、世を愛された。」
  「独り子は死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで、従う者となられた。」

         この言葉のうちに本会はいいあらわされている。
          そこで、私たちは答えた。

             「私たちは、その愛を信じています。」
              
              (創立者 メール・マリー・デ・ドゥルール)

※ 1931年4月、最初の姉妹たちは・・・十字架につけられたイエスの愛の中に、
 典礼の祈り、念祷、沈黙、兄弟愛に重点を置く簡素な隠世修道生活を生き始め
 る。本会の精神は十字架の神秘の観想が中心となっている。姉妹たちは、「神
 のみ旨への忠実」を旨とし、貧しく隠れた生活、単純と喜びにあふれた生活に
 よって、十字架の神秘を「再現し、輝かせたい」と望む。それは「アーメン・
 アレルヤ!」という標語に要約される。

※ 私たちの諸活動は修道院の内部で行われる。それは本会の基本方針にふさわ
 しいもので、しかも自分たちの可能性や能力の範囲内にとどめる。

 最近、以上のような会則の言葉に度々留まり思いめぐらしますが、ある日、庭にあるゴルゴダの十字架の前で「十字架の神秘を再現し、輝かすとはどのように生きることなのですか?」と祈ったとたんに、ずっと昔、聖書を学んでいた時に、先生が「十字架、十字架・・・と言いますが、イエス様は十字架に架けられるのが目的だったのではない!人々、つまり、私達を愛して、愛して、愛して生きたら十字架に架けられた!このことを決して忘れてはならない!」と言われた言葉が浮かんできました。

 そしてまたすぐに「十字架の神秘を生きると」は、今、一緒に生きている姉妹一人一人をイエス様がなさったように愛し、心の底から大切にして生きること、つまり、会則の「姉妹愛」を徹底して生きること以外の何ものでもない!」ということであることに気づかせてもらいました。
 このことについても、以前、聖ベネディクトの戒律について学んでいた時、「共同生活は家庭での夫婦生活であろうと修道院のきょうだい生活であろうと十字架の道ですよ。みんな一人ひとり違うんですから・・・・一人一人の違い、それこそ神の創造の業なのですが一緒に生きること、それは大変なことですよ!」と先生がおっしゃったことが浮かんできました。

 新しい年、この気づかせていただいたことを実行することによって、今まで見えないところで、あるいは見える形で私たちを支えてくださった方々、また、これから支えて下さるすべての方々へ心から感謝しつつ、イエス様とともに生きる喜びを一人でも多くの人に伝えていきたい!と願って生きていきたいと思っております。


メニューに戻る .



Copyright (C) 2007. 十字架のイエス・ベネディクト修道会
Congregation des BENEDICTINES de Jesus Crucifie Monastere Regina Pacis. All Rights Reserved.