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8. みことばに導かれて

Sr. 鈴木 喜代


 「主よ、あなたは私を究め、私を知っておられる」(詩編139)
 昔日、さわやかな秋晴れの昼下がり、祈りの輪の中で、このみ言葉が腹の底に深く落ち、それをあたためた後「来てみなさい」私は修道院に向かい、黙想のために留まったのでした。

 自分を見つめることによって私の求める道、真理が見出せるのでは・・・と ずっと思い続けていたのでした。
「さあ、われわれは主のもとに帰ろう・・・」(ホセア6)という回心への旅、それは、とりもなおさずもっとも長い旅である内奥に向かっての旅への歩みなのだ。「奉献の精神を持つことは、深く自分の人生を活きることである。」とノートル・メール(創立者)は言われます。

「活きる」というのは、日常生活のすべてを心の中に通し、深くその奥底に「生きる」こと。つまり、それは平凡なこの修道家族の中で、喜びも悲しみも全て分かち合いながら、育っていくことなのでしょう。

 この隠れた小さな共同体の祈りと働きが、単純、喜び、み旨への忠実にかなうものとなるよう願いながら、日々歩んでいます。

「あなたのみ言葉は、わたしの道の光わたしの歩みを照らすともしび」(詩編119)

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