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9. ある日、突然・・・・
Sr.船田由美
ある日、突然、私は何によっても心が満たされないことに気づきました。苦しかったのです。何によって私は満たされるのか? 何が私を満たしてくれるのか? 何もわからないのです。
その頃、ある宗教団体の本に出会いました。私は一冊一冊吸い込まれるように読み続けました。そして、ある日、突然、一つの確信が私の心にストンと落ちました。「神様に信頼して生きるのは、何と素晴らしいことだろう!」
「神様はいらっしゃる。でも私には関係の無い方。」「人に迷惑をかけないで誠実に真面目に生きればそれで良い。」と思っていた私。でも28歳を境に私の生き方は変えられました。神様ぬきにしては、生きていけない私に変えられていました。
ある日、突然また苦しくなりました。「由美ちゃんは、神の子さんよ」と言われても信じられないのです。私の心を見れば、暗闇がたくさんあります。自分中心、嫉妬心、無関心・・・この私がどうして神の子???
誰に尋ねても答えをいただけない。苦しい日々でした。私に光を与えてくれた本をもう読むことができなくなりました。再び苦しい旅が始まりました。ずっと後になってわかったのですが、私はまだこの時は十字架のイエスと出会っていませんでした。
ある日、街で統一協会の女性に声をかけられ―聖書と塩狩峠―をぜひ読んで下さいと貸して下さいました。聖書を開きましたがどうもとっつきにくい内容でした。
聖書を閉じて塩狩峠を開きました。そこには、「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。」(ヨハネ伝12章24節)と書かれていました。「これはどういう意味だろう?」 読み終えて、「見知らぬ人々の命を救う為に自分の命をなげうつ。どうしてそんなことが出来るのだろう?」 感動と共に一つの大切な問いかけをいただきました。
私は教会を訪ねました。いくつかの教会の前に立ちましたが、なんとなく入りにくく、しばらくはそこに立っているのですが結局は立ち去ります。苦しい日々は続きます。
ある日、仕事で訪ねた所の正面がカトリック松山教会でした。「マザー・テレサの映画のチケットあります。」この掲示を見て私はすぐにそれを求めました。映画を観た後、「聖書には何が書かれているのだろう? マザー・テレサはどうしてあのような生き方が出来るのだろう?」私は不思議でした。
そして真っ直ぐに松山教会を訪ねました。公教要理を学ぶようになりましたが私には難しく心に何も響きません。お休みするとヴィセンテ神父様は心配して下さり、勤務先を訪ねて下さいました。その後、神父様は伊丹に変わられ、引き続いてルイス神父様に教わるようになりました。神父様はミサに参加することを勧めて下さいました。今思えばそれは最高の恵でした。神様は私の心を受洗に向けて準備して下さったと確信しています。
はじめて、聖堂の扉を開けて中に入った時、「あ、ここは特別の場所」と感じました。ベンチに座り静かにしていると、聖堂に満ちている平和、静けさ、清さ、そして温かさに私は包まれました。
ある日、親切な信者さんが「あそこに神様がいらっしゃいます。」と聖櫃の方を見て教えて下さいました。「そんな、ばかな!」それが私のとっさの反応でした。主日、そして毎夕、ミサに参加しました。主日はミサ後、祈りの集いに誘っていただいたり、信者さんとお話したりして過ごしました。私は真に幸せでした。
私は、母に内緒で教会に行き、母の留守中に聖書を読んでいました。ある日、思い切って「かあちゃん、私、三番町のカトリック教会に行っとんよ。今すごく幸せよ。」と言いますと、「由美ちゃんが幸せなこと前から感じていたよ。何があったのかしらと思っていたよ。」思いがけない母の返事でした。
ある夕のミサに参加した時、聖体拝領前の信仰告白「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠の命の糧、あなたをおいて誰の所に行きましょう。」を私は全身全霊をこめて唱えていました。自分でも驚きました。
1980年12月24日、受洗の恵みをいただきました。母もミサに参加してこの恵、喜びを共にしてくれました。
この地上での私だけのひとすじの道を共に歩いて下さる主、母マリア、祈りと愛で支えて下さっている多くの方々に心からの感謝です。
ありがとうございます。
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