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はじめまして・・   原 理香


 最初の修道院便りなので、受洗に至る道と修道生活を望んだきっかけを書かせて頂きます。

 1996年の秋、私はある病気の為に入院し、手術を受けました。
 私は、十代の頃から母と上手くコミュニケーションが取れず、苦しんで来ましたが、退院後は、あまりにも心配する母と、入院生活で感受性が強くなっていた私とはケンカばかりしていました。
 年が明けて、私はこれ以上、母との関係を悪化させない為に物理的に距離を取るようになりました。そして、家族や人間関係で、生きづらさや苦しみを抱えている人達の分ち合いのグループに参加するようになりました。この分かち合いの会場となっていたのが、カトリック教会の信徒会館でした。私は、その時はじめてカトリック教会の敷地内に足を踏み入れました。そこで、様々な方と知り合う事が出来ました。

 分ち合いに参加し始めてから一月程経った頃、私の母は急性白血病で入院し、二週間足らずで亡くなってしまいました。母の臨終の際、動悸で死んでしまうのではないかと感じるほど泣きながら、私は自分の無力と人間としての限界を知りました。自分が母を死なせないという思いや、いつかは母と和解する夢は、砕かれました。
 死の直前までの病室は、凄まじい嵐のようでしたが、息を引き取った後は、不思議な静けさと安らぎ・・平和に満ちていました。

 私は泣き続けながら、まるで天国の裾が病室に届いているように感じました。
暫らくすると、私はきちんと和解出来なかった事、助けてあげられなかった事に対して、強い罪悪感を持つようになりました。それは、その先を生きてはいけないと感じる程、重いものでした。

 夏になり、教会に行ってみると、久し振りにお会いした信者さんから、
「Sさんがあなたを心配して、ずっと祈っている。」「彼女はシスターなのよ」と、教えてくれました。あまりよく知らない私の事を、ずっと祈ってくれている・・
 私の人生で、このような愛を体験したのは初めてでした。このシスターを通して来る愛はなんだろう? 彼女にそこまでさせるこの神はなんだろう?と圧倒されました。
 感謝を伝えるため、彼女が居る修道院を訪ねると、開かれたドアの奥に長い廊下が見えて、左右から幾つもの白いカーテンが夕方の風にゆっくり大きく揺れているのが見えました。それを見て、私は内面に深い平和を感じました。それは、母の死の直後に病室で味わったのと同じ平和でした。

 私は「この神様のもとに母は行ったのだ」と直感し、また洗礼を受ければ罪が許されると信じて受洗を決心しました。そして、その後の人生は救われなければ無かったのだから、受洗後の生命は神様のもの・・シスターになりたいと、望むようになったのでした。