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「かあちゃん、ありがとう!」 Sr Maria Kolbe 廣松千鶴子
私の記憶にあるかあちゃんは、いつも元気で歌が上手く、働き者で頭が切れ、なかなかのやり手です。
今年の3月にあなたを見舞った時、あなたはベッドに寝かされ、すっかり痩せ衰え、昔の面影はなく、思わず涙が流れました。
思えばあなたに気苦労の掛け通しだったようです。未熟児で生まれた私は目も焦点が合わず、体中が毛だらけで、まるで獣のようだったそうで、その時のあなたのショックは大変なものだったでしょう!
あれは確か私が5歳くらいだったでしょうか?あなたは私に
「てっきり死んでくれるかと思ったら生き返ってしもうたもんね。」
さも残念そうに言うのです。
「うちも生きとうなかと!殺してくれたら良かったとに!」
私は腹の底からそう叫んでいました。
それからというもの、私は常に死を望むようになり、家族の私に対するいじめは日を追うごとにエスカレートし、家に私の居場所はなく、いつも一人原っぱにうずくまっていました。
次第に口数も少なくなり、めったに笑わない暗い子供で、ただ憎しみだけが頭の中を支配していました。
3月にあなたを見舞った時、私に何か言いたそうでしたが、謝りたかったのでしょうか?
あなたは8年前に私に謝ってくれ、私はもうその時あなたを許していましたよ。今は、あなたの事も、もう誰も憎んでいません。
それより私をいじめる事でストレスを解消しなければ、生きられなかったあなたを思うと、可哀想で涙が出ます。
そういう訳で、家族からの愛は薄かった私ですが、実に多くの人に愛され、無償の愛も幾人かに与えられたお陰で、今の私が在ります。
「わたしの恵みはあなたに対して充分である」(2コリント12;9)
私は今、この世に生を受けたことを神に、そしてあなたに心から感謝しています。
これからは私が人々に愛を与える者へと変えられる事を切に願っており、その為にこの修道会に導かれたのだと確信しています。
かあちゃん、うちば産んでくれてありがとう!
尚、母は10月10日(木)午前4時過ぎに他界しました。
この原稿を書き上げたのが9月10日でしたから、その丁度一カ月後に息を引き取った事になります。81歳でした。
もう少し生きてほしかったです。かあちゃん、お疲れ様でした。
私はあなたの娘であることを誇りに思います。本当にありがとう!