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消 え な い 喜 び  

私達は、教会と社会の為に、非常に美しく極めて単純なカリスマを頂きました。

Sr.船田 由美  



 1983年、総会の年。その12月に本会に召されました。

 共同集会で総会指針が読まれた時、ひとつの言葉が心に響きました。
それは、「はい、父よ!」です。
私の心奥から、一筋の喜び、光が一直線に昇ってきました。
私は、喜びに満たされました。本会の存在を知り、本会への入会を望んだのは、修道家族が毎日唱える「3時の祈り」の「・・・キリストは死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従う者となられた・・・」このキリストの道を歩みたいと切に望んだからです。それが今、「はい、父よ!」というひとことで表現され、私の心に根付きました。

 父は、私達に「はい!」と答えて下さいました。
その「はい!」は、「父は、その独り子をお遣わしになるほどに世を愛された。」ことだと思います。
そして、イエスは答えます。「はい、父よ!」と。
それは、「独り子は、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従う者となられた。」ことだと思います。イエスの「はい、父よ!」を聴いた時、父と私達への計り知れないイエスの愛を深く感じました。

 イエスの歩まれた過ぎ越しの道のり。自我に死に、父の聖旨のみを生きる道。痛みと喜びの道。それは、死と復活の道。
イエスに助けていただかないと一人では歩けない道。父は、弱い私にイエスと同じ道を歩むよう望まれました。泣いたり、笑ったり、しんどいなあと思う時があっても、この道を歩みたいのです。私は歩き続けました・・・・。

 そして、終生誓願を前にして、タイトルと標語を決める時、私の心は決まっていました。タイトルは、「十字架につけられたイエスのスール・由美」、標語は、「はい、父よ!」です。
 「成し遂げられた」と、霊を父にお返しする最期の時まで、主の助けを頂いて「はい、父よ!」を生きることが出来ますようにと願います。どうか、お祈りで支えて下さい。

        そっと後ろを振り向くと
             ひとすじの道 美しきかな