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詩人・竹内てるよに寄せて  エンマヌエル野口義高(トラピスト)


 一人の姉妹から見せていただいた教会の定期機関誌。そのかたすみに、一つの詩が紹介されていた。

作者は竹内てるよ、懐かしい名前だ。波乱万丈の詩人。その自伝小説「海のオルゴール」はこれまで二回ほど、テレビドラマ化されており、現皇后様が2002年にスイスのバーゼルで開催された「国際児童図書評議会」のスピーチの中でてるよの代表作「頬」を引用なさったことから、改めて注目された。

 てるよは、銀行員を父とし花街の芸妓を母として1904年(明治37年)札幌市に生まれた。生後すぐに釧路の父方の祖父母に引き取られたが、日露戦争の最中にあって判事(祖父)の息子ともあろうものが何事かと「北海道タイムス」をにぎわし、祖父の命により両親はお金で別れさせられ、母は石狩川に投身自殺。 てるよ自身、自分の生い立ちを振り返っている。

「商売人の女は、判事さんのところの奥さんにはなれないということでした。
18歳の母が、どんな、屈辱と恥ずかしさでそれらの言葉を聞いたかと思うと、私 の胸は今でも煮え繰りかえります。

人間は愛にみちたものであるといい、人を信ぜよ、人はみな善人だとあれほどいいきった祖父にしてなお、この社会と、自分 の地位とのことから、はっきりと実行出来なかった祖父の勇気のなさはもちろん、父にしても母にしても戦いきれなかった時代の習慣のおそろしさを思うと悲し くなります。」
(「海のオルゴール」より)

 その後、一家をあげて東京に移住し、父親の借金の相手と20歳で結婚するが、肺結核で死線をさまよい、一人息子とは生き別れる。
何年か後にやっとの思いで再会するのだが、息子はヤクザになっていた。
それから息子は母の愛に触れ再起しようと決意したのだが、若い命をガンに奪われてしまう。


彼女はキリスト教信徒ではないし、何かしらの宗教を信じたわけでもない。
しかし、生涯を通して失意と不運を背負いながら、それでも不条理に見える人生のまっただ中にあっても、人として完成するただ一つの道があることを、詩人としての鋭い感性と天来の霊的感性を持って洞察し、詩に託していった。

彼女は言う、
『不幸を友とせよ、人と自分とをへだてるな、力のかぎりを尽くして、人間の不可能を、可能にしてみよ』
と女神にいわれ
「私は、愛ただ一つをもって、不可能を可能にしてみようと、人間に対する愛ただ一つをもって……と。考えていました。」

人生の辛酸をなめ、宿命にあらがいながらも、竹内てるよは自分の境遇を悲嘆することなく、人への愛を信じ貫ぬいて2001年に没する。


 主イエスはわたしたちに言われる、
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい」 と (マタイ11:28)。
そう言われた主のみ心が 愛そのものであるがゆえに、この言葉を聞くわたしたちは癒され、赦される。
てるよが見ることはできなかった信じ抜いたすべての人に対する愛を可能とされた姿、それこそイエスの生き様ではないか。

愛ただ一つをもって生きていけるのだと、イエスの十字架が私に迫る。