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「私は道であり、真理であり、生命である」 Sr服部美智子
私は、人生の生きる目的が分からず、暗闇の中でもがいていた時、友人の導きで教会に行き、信仰の恵みを頂きました。
主イエス・キリストは、私を愛し救うために人となられたこと、私たちの罪のため十字架につけられたが復活され、永遠に私たちと共に生きてくださると知ったのです。
それから私にとって、イエス・キリストが全てとなりました。
私は、フランスのノルマンディ地方にある本会の修練院で、初誓願を宣立したのですが、有期誓願中、いつも心の中で、終生誓願の時につける私の標語とタイトルを探していました。
主と共に生きる指針、道しるべ、助けとなる聖書のことばを・・・
御ミサの奉献文の中のことば“キリストによって、キリストと共に、キリストのうちに!”に引かれ、“生きているのは、もはや私ではなく、キリストが私のうちに生きておられる。”(ガラテア2,20) この言葉も大好きだが、標語としては長すぎる。
ラテン語でなら、“イン クリスト” これに私が思うすべての意味が入っているので良いのだが、多くの人に分からないと思うし・・・
して、ある日御ミサの中で、聖ヨハネ福音書の
“私は道であり、真理であり、生命である”
のみことばが強く私の心に響きました。そして、これを選びました。
修道生活の初期の頃から、主キリストこそ私の生きる道であり、真の真理を教えてくれる師であり、そのために生きる新たな生命の与え主だと信じたのです。
私の50年の修道生活で、暗闇の中では光となり、信仰が弱くなった時には支えとなり、御父のもとに導く道しるべとして助けられています。