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朝顔によせて
Sr 鈴木 喜代
 この夏も朝顔がよく咲いた。  もう、かなり前から、私の修室の窓一面にカーテンがいらぬかのように蔓をはわせている。  朝顔は、ヒルガオ科の蔓性の一年草である。始めの頃は地植えであったが、近年はプランターを 2つ横に並べている。  5月中旬に種をまき、芽を出し伸びてきたら棒竹を用意し縦横に組み立てる。長いのは思いきり 高くしてあげる。  とにかく、自由に伸びていけるようにと願いをこめる。  蔓は左巻きと決まっている。勢いを増してくると、長い棒に絡まったものは互いに競い合ってい るかのようにグングン上ってゆく。  まるで天を目ざしているように・・・。  今年は大きな被害もなく、よく咲いてくれた。  ある年には初夏に来た台風のために、なぎ倒されてしまったこともあった。  花も、大きさも、色も、葉の数もその年、その時が違うから面白いし変化に富んでいる。    この9月末には、直径3センチくらいの小さいのが健気に咲いていた。感動してしまう。  10月に入り、すっかり萎れ、枯れて、エネルギーを使い果たした蔓を片づける。  種を採り、棒竹も使えるものはまとめて来年に備える。
 さて、実をいうと、朝顔つくりは悠長にやっているのではない。  私たちの一日は祈りと働きの時間が縦糸と横糸が織りなすようになされているので、その一寸の 時間というより合間に、棒を立てたり、草を抜いたり、水を上げたり声をかけたり。もう少し世話 をしたいと思っても時間切れとなったりで、十分とはいえないのだがこれで良しとしている。  私はこの朝顔を通して多くのことを学ばせてもらっているのだから。存在そのものが神さまの作 品であるし、その成長そのものの中に主キリストが働いているのだから。  一つひとつの現象が私に語りかけ、祈ることを示してくれているのを思う時、朝顔に感謝せずに はいられない。  神に呼び集められた私たちの奉献生活の一コマを記してみた。