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十字架上のキリストの奉献   
Sr.Francisca 岡島静代
 両親の死後、私の心にはいつも問いがあった。 「二人の人生の意味は何だったのだろう。」  私の父は脳梗塞を患ったのち71歳で亡くなり、母は60歳からパーキンソンで20年間 苦しんだあと亡くなった。  父母は貧しい中、7人の子供を育て 晩年は二人とも寝たきりになった。 子供たちのために尽くした人生、一生貧しかった人生であったが周りの人々の支えとなり尽 くした人生でもあった。キリストへの信仰は持たなかったけれど。  天国へ行ってその報いを受けているよ、と言われてもどうしても釈然としない。  そうでなくて、この世に生きていた間の意味を知りたいと切に願った。 ところが、7年前に内観黙想した時に、父母の愛を実感させていただいた後、指導して下さっ ていた神父さまの言葉 「お父さん、お母さんの生、愛、死・・  全てを十字架上で奉献されたイエスに差出し、  その奉献に合わせる時、二人の生は素晴らしい捧げものになる。  そのためにシスターはキリスト者となり、この会の修道女になった。   ふたりだけでなく、家族、友人皆の分を・・」  私はこの言葉を聞いて目からうろこが落ちた思いがした。  そうなのだ、私の中で父、母の愛、生涯を十字架のイエスに捧げていただくのだ。  私の心は広がった。2人の人生は無駄ではなかった。  この世で最も素晴らしいいけにえのぱん。  あの日以来私は喜びに満たされた。  父と母が霊的に私につながった。十字架上のイエスにつながった。  全ての奉献のみなもとは十字架上のイエス。  自分の奉献生活は自分だけのものではない。  この世界の全ての喜び、苦しみを奉献していく生活。  毎日のミサはその奉献の極み。 「キリストによって、キリストと共に、キリストのうちに、  聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに  全ての誉れと栄光は 世々に至るまで。」  ここに私の奉献生活の意味がある。