戻 る

愛 は 我(が) よ り も 強 し 
Sr. 船田 由美 
愛は我よりも強し  「今日、神の声を聴くなら、神に心を閉じてはならない。」(詩編95) この詩編の言葉は、全ての人に大切なことですが、奉献生活に呼ばれた者には、特に大切だと思います。  ある時期、わたしは一つの困難を持っていました。  その頃、ミサではマタイの福音が読まれていました。福音も説教もわたしに厳しく言っているようで、 聴きたくありませんでした。  わたしは、貝のように心を固く閉じ重い気持ちでミサに参加していました。  福音を聴き説教の勧めを生きたいと望むすなおなわたしも確かにいます。でも、強いわたしはそれを 許しません。 一日一日過ぎていく中で、神様はある日突然、見せて下さいました。 わたしの内に、しっかりと根を おろしている真っ黒で大きく固い岩のような塊を。 わたしは茫然としました。でも、すぐわかりました。 この塊は「わたしの我」。「それはわたし」と認めることの出来た時、この塊を受け入れることが出来 ました。  それから、わたしの心は静まりました。  そしてその翌日、ミサの福音は、金持ちの青年の話でした。自分の財産を手放せずイエスのみ前から 悲しみながら立ち去る青年。 神父様は、説教をこう締めくくられました。  「一番悲しんでいるのはイエスです。」 聴くやいなやわたしは心の中で激しく泣きました。  黒い塊は氷のように解けていきました。心は開け、明るく軽くなりました。新しい命で再び新しく生 き始める恵みをいただきました。  愛に気づくと人は変えられます。  この地上での旅路において、また主を忘れてわたし、わたし、わたしで生きる時があるでしょう。  でも主は待っていて下さいます。  わたしが愛に気づくまで。
健 ち ゃ ん  八月ももうすぐ終わりというある日、健ちゃんがおかあさんと満美さんと一緒に修道院を訪ねて下さ いました。  恵みのひとときを過ごし、感謝のうちに昼の祈りをお捧げした後、健ちゃんは、優しい笑顔を修道院 に残して出発されました。  その夜、気づきました。健ちゃんとは何もお話できなかったけれどわたし達の輪の真ん中に健ちゃん はいてくださったと。