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奉献生活
Sr.金井玉枝
旧約聖書の中で「奉献」というとサムエル記上1章が思い浮かびます。
エエルカナの妻ハンナは子供ができず、苦しみ悩みのはてに神に叫び、願いが聞き入れられて
サムエルを授かりました。
夫婦は乳離れしたサムエルをシロの主の家に連れてのぼり、祭祀エリのもとで主にゆだねます。
少年サムエルはそこで、亜麻布のエポデを着て下働きをして主の御前につかえていました。
そしてついに主から直接声をかけていただきます。しかし、サムエルは神からエリの家系に対する
罰の宣告を告げねばならない預言の使命を受けるのです。
私は、本会に召されて40年の奉献生活をおくってきました。
祈る時にはよく「御声を聞かせてください」と願ったものです。
しかしサムエルのことを見ると、神の御声を聞いたら大変なことになるのだという気もします。
今年の夏、10日間の霊操させていただき自分の奉献生活を再確認しました。私に任されている
掃除、洗濯、修道服のアイロンかけの仕事を姉妹たちと協力し、主に使える幸せを感じています。
少年サムエルが下働きをしていたというところに親しみを覚え、姉妹たちと共に家政を手助けでき
る喜びと、まだ主を知らない人々や主を忘れている人々に、主に向かう機会を作っていると思うと
ますます楽しい仕事になります。
毎朝のミで主の奉献にあずかり自らを、特に日常の相互信頼と心のこもった真実な兄弟愛の喜び
と感謝を、そして自分の十字架を御心への愛のこもった承諾でありたいと願いつつ捧げて救いの秘
儀にあずかります。
奉献生活者である私たちが教会において多産な存在となれますように。
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