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奉献生活によせて
マリア・アニェス 新美京子
 高校生の頃、一つの詩に出合いました。  不意を打たれ、落ち着かない気持ちのまま、そっとファイルに入れました。  あれから二十余年。奉献の道を行く中で、多くのものを手放しました。  でも、あの詩はファイルに入ったままです。この頃になって、もう一度、読ん  でみたくなりました。
    汲 む   ―― Y・Y に ――      茨木 のり子
 大人になるというのは  すれっからしになることだと  思い込んでいた少女の頃  立居振舞の美しい  発音の正確な  素敵な女の人と会いました  その人は私の背伸びを見すかしたように  何気ない話を言いました  初々しさが大切なの  人に対しても世の中に対しても  人を人とも思わなくなったとき  堕落が始まるのね  堕ちてゆくのを  隠そうとしても隠せなくなった人を  何人も見ました  私はどきんとし  そして深く悟りました  大人になっても  どぎまぎしたっていいんだな  ぎこちない挨拶  失語症  滑らかでないしぐさ      醜く赤くなる  子どもの悪態にさえ傷ついてしまう  頼りない生牡蠣のような感受性  それらを鍛える必要は  少しもなかったのだな  年老いても咲きたての薔薇  柔らかく外に向かって  開かれるのこそ難しい  あらゆる仕事  すべてのいい仕事の核には  震える弱いアンテナが隠されている   きっと・・・  わたくしも  かつてのあの人と  同じくらいの年になりました  立ち返り  今もときどきその意味を  ひっそり汲むことがあるのです