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回心 隠世共修修道奉献生活の一側面   
Sr.関 雅枝(在フランス
 神様がニネベの町にヨナを送るに先立って、実はニネベの人々が回心しやすいように少し 裏工作をされたことをご存知ですか?そうなんです。神様としては愛する子供たちが滅びる のを見るに忍びなかったのです。  それでニネベの町から無作為に一握りの人を掴んで聖なる山に移されました。 彼らは何しろニネベ出身なので聖山に移されたとしてもおお悪でした。一人が言いました 「こんなに怒りん坊なわたしが聖山に?」。 もう一人が続けます「わたしはものすごくケチなんだ…どうしてここに来たのかな?」。 更にもう一人 「わたしも意地悪では負けないんだけど…」。 こんな調子で聖山に住むに相応しくない人ばかりでした。 何しろニネベ出身なのですから。 神様は言います 「何とかわたしの救いの仕事に協力してくれないかな。ニネベには右も左も分からない人が 一杯いるのだから、どうしてこのまま滅ぼすことができようか…わたしは皆を愛しているの だよ」。  聖山に移されたものは尋ねます 「どうしたら協力出来るの。私たちは悪者なんだ…」。 神様「お前達が回心してくれたらニネベの人はヨナの言葉を聞くだろう。王から始まってみ んな断食して悔い改めるだろう。やってくれるか?」。 皆は答えます
思うほど険しくないわよ  一緒に上がればできると思う
主が待っていてくださるから!
  
「わたしが怒りん坊から優しくなれってこと? わたしは弱いんだもの…」 「わたしは何でも分かち合えるようになれるだろうか? 根っからのケチなのだから…」 「この意地悪直せるかしら?」 そして彼らは続けます 「一人じゃ出来ないけど皆一緒にすれば、何とかなるか もない。何しろあのイエス様がこの世に来てくださ ったんだから、助けてくれるんじゃないかな」 と言って皆は回心に励みました。 自己中心と自我の尻尾を追いかけたのです。
それでニネベの町がどうなったか皆さんはご存知でしょう。  回心はまず一人一人の心から  でも弱いわたしたちだから兄弟姉妹と一緒に回心の道を歩みましょう と、聖ベネディクトは隠世共修修道生活(モナスティック生活)を考えました。 無作為に集められた私たち、十字架のイエスの愛に駆られて、彼の後に従い、現代のニネベ である世界の平和を実現できますようにと! * 注記 預言者ヨナの物語。ヨナの宣教によってニネベの王と住民は悔い改めて、神の審判が回避された話