ご存知のように 今年6 月18 日教皇フランシスコは、
回勅「ラウダート・シ」(主は讃えられよ)を発表されました。
“教皇はこの回勅を通して、わたしたちの家である地球が上げている叫びに耳を傾け、
皆の共通の家を保全し、責任をもってその美しさを守るために「方向性を変えていく」
よう、「環境的回心」を呼びかけている。”(ラジオ・ヴァチカンより)
そして今年の修道院便りのテーマは自然環境について とのこと、
この回勅はただ単にエコロジーの問題だけでなく、神の創造と愛をわたしたちがどの
ようにいただき応えて行くかという招きだと思っています。
わたしのいるノルマンディは未だ自然の美しさを保っているように思えますが、同時
に先進国のエゴ、人間の醜さが残した傷を負ってもいます。
農業牧畜で生計を立てている農民たちの切実な経済貧困問題は、中近東からの難民を
受け入れたくても住民自身が生きていかれない現状ですし、自殺のもっとも多い地方で
もあります。
そうした中でキリスト者であり、隠世修道生活を営む無力なわたしたちの力はどこに
あるのでしょう。もちろん共同であるいは密かに賛美と執りなしの祈りをささげること
はわたしたち第一の務めです。
しかし、もし修道者が福音の預言的生き方をあかしするよう招かれているのなら、そし
て預言者が神のご意思を言葉だけでなく、その生き方を通してあかしするのなら、貧し
い人々の中に出かけて行くことも、みことばを屋根の上で伝えることもしないわたした
ちは 何をもってあかししましょうか。
ところで、どんな預言書を見ても、神の厳しい叱責のことばと共に、必ず希望のメッ
セージを見いだします。その希望と信頼こそ、わたしたちが生きてあかしできることで
はないでしょうか。そんなことを考えています。
何故かと云いますと、どこの修道会も未来への対処を考える昨今、本会も特にフラン
スの共同体での老齢化が進み、ここサンジャック修道院閉鎖が決まりました。
閉鎖と云っても大きい所帯を閉じるにはやはりそれなりの時間が必要なので、実際の
閉鎖はもうしばらく先のことになりますが、わたしは再びブルーの本部修道院所属にな
ります。
…とにかく、今は残された日々、この田舎、サンジャームの自然をじっくり味わいつ
つ、神の摂理に希望と委ねを膨らませています。
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