カトリック教会では伝統的に、聖週間(イエス・ キリストの受難と復活を祝う週)にエレミヤの哀歌 が典礼の中で歌われて来た。 今年2015 年の聖土曜日、時課の祈りにおいて、私 は哀歌(哀歌 第5章1 〜 11 節)を歌わせていただ いた。 聖書を朗読するかわりに歌うので声を出すのは私一人 であった。 さて35 年前、私は当時在学していた大学のグリー クラブ有志と共に、トマス・ルイス・デ・ヴィクト リア(1500 年代スペインに生きた作曲家)の「エレミヤの哀歌」の全曲をラテン語 で歌ったことがある。 その最後の部分 Jerusalem Jerusalem convertere ad Dominum Deum teum 「エルサレムよ、エルサレムよ、あなたの神、主に立ち返れ」 は、今でもメロディーとともに口ずさむことができるほど鮮明に私の中に残っている。 この「祈り」は預言者エレミヤを通して神が人々に送り続けている 「どうか私と一緒にいてほしい」という愛のメッセージ゙:切なる願いである。 エレミヤの哀歌を歌ったことをきっかけに、私は教会音楽、特にラテン語で歌われる ポリフォニーやグレゴリオ聖歌に魅了されていき、数々の恵みと、この「祈りの歌」を 通して洗礼へと導かれていった。 エレミヤが涙を流しながら人々に叫んだ祈り、ヴィクトリアがその作曲の中にこめた響 きの祈り。 今、私はエレミヤと共に叫ぶ。ヴィクトリアと共に祈る。 「どうかすべての人が神様の方にむいてほしい!神様はこんなにもあなたを愛している のだから。」 35 年前に植えられた種は、このような形で開花した。 |