昨年の潮見での典礼委員会典礼音楽部会の集まりの席上、いろいろな議題が話し合われた。
その中で、こどものための聖歌が少ないことが改めて確認された。
確かに、典礼聖歌集が分冊の形で発表されて以来、日本でのカトリック教会の典礼音楽は
長足の進歩をとげてきた。
さまざまな答唱詩編や一般賛歌、フォーク調聖歌、「教会の祈り」のための賛歌などが小
教区や修道会などで創作されている。その一方、こどものための聖歌は見回してみればそ
れほど豊かにはなっていないことに気づく。
この部門ではカトリック教会よりもプロテスタント諸派の方が先輩である。
こどものための賛美歌や曲集やCD などが専門書店に行けば見かける。カトリックの教会学
校や幼稚園・保育園そして小学校などでも、これらプロテスタント教会の曲集を選択して
用いてるところもあるだろう。しかし、教理に理由から、カトリック教会にあってプロテ
スタント教会の賛美歌集などにはないものがある。聖母マリアや御聖体への賛歌、聖人や
殉教者、諸証者を題材とした賛歌などだ。また、こどものための聖歌がないからと言って、
難しい言葉や表現にあふれた歌詞は、こどもたたちにふさわしくないのは当然であろう。
私たちが普段に用いてる「あがない」、「ひせき」、「あわれみ」、「みむね」なども、
幼稚園児らはどのように理解できるだろうか。
人生について深く思い悩んでいる幼児はいないだろうけれど、何が人生で大切なのかを伝
えたい。
歌詞だけではない、旋律もこどもたちに歌いやすい音域と平易であっても品格のあるもの
が求められる。
だが、こどもたちが日常の中で耳にしている音楽とかけ離れていてはなじみのない違和感
を与えてしまうだろう。
このような内容が集まりの中で意見が交わされたが、この時、自分で試みに何かを作っ
てみようという思いが生まれた。
それからもう一年がたつ。現在のところ50 曲ほど作ってみたが、いつも難しさを感じざる
をえない。平易なことばでこどもたちが歌える聖歌を目指していても、そこには歌う子供
たちへの教理教育の意味も含まれる。
やさしいことばで、福音をぎゅっと絞って歌詞の中に込める。そのなんと難しいことか。
歌詞と旋律を創作する作業の中で、自分がわかっているつもりで使っている用語がいった
い何を意味しているのか、その本質は何だと自分が理解しているのかが鋭く問われる。
こどもたちが歌う姿を想像しつつ、自分自身が子供に戻って歌いながら、日々生かされ
ていることの喜びと感謝を伝えられるよう願う次第である。
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