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歌 う 喜 び          Sr.金井玉枝


 私は、先天性緑内障で、学齢期に達したころはまだ少し見えていたが、通りに出て
近所の子供たちと遊ぶことはさけ、一人家の2階の子供部屋で、聞き覚えた歌を歌っ
て楽しんだりしていた。

 付属盲学校小学部に入学してますます歌う機
 会が多くなった。
 先輩の女子生徒には、歌の上手な人がたくさ
 んいて、音楽のS先生は放課後にもピアノの
 伴奏をして私たちに個人レッスンをしてくだ
 さった。
 その中には、今はセミプロの声楽家になって
 いる方もおられる。

 本会に入会してからは、ミサや聖務にあずか
 るたびに毎日歌っている。
 昨年の秋から典礼の歌の仕事を 引き受ける
 ことになり共同体の歌の練習の司会をしている。

素人の私には身に余る仕事なのでしっかり準備をしなければその場に出られたもので
はない。

点字の聖書と点訳された歌の本がぎっしり詰まっている自分の修室と聖堂の自席から
必要なものを探し出す。所持品を宝のもち腐れにはさせてはいけないのだと気づき、
楽譜の隅々まで読みピアノに向かっている。

 聖務の詩編唱和によって、み言葉が現存すると心は歓喜に満たされ、神への賛美
を立ち上がって歌う。そのように歌隊が一致して歌う祈りを目指している。
本会は、その使命を教会から委託されている。

 教皇フランシスコの使徒的書簡
「奉献生活の年に当たって」
を共同で読み、分かち合った時に私の心をとらえたのは、創立者と初期の姉妹達を
駆り立てた霊感、すなわちカリスマがいかに創造性を生み出したかということだっ
た。
日本の共同体の創立に際して典礼を築きあげた先輩たちの情熱にそれを読み取れる。

 キリストから私たちに声を預けられて捧げる神の御業の喜びは、滾々と湧き出る
命の泉。
聖務を良く準備することによって私たちは、キリストの平和を世界に送り出してい
きたいと思っている。