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神さまのいつくしみ    Sr. Maria Faustyna 小林清美


“いつくしみ”という言葉は、聖書の中も聖歌の中でも、霊的な書物の中にも、たびたび
使われている言葉だと思います。
 特に今年は“いつくしみの年”だったので、ありとあらゆる場面で使われ、目にするこ
と耳にすることも多かったと思います。それでも、“いつくしみ”ということばを聞いて
「もう聞き飽きた」と思う人はいないのではないでしょうか。
 それはやはり、イエスさまご自身、神さまご自身がいつくしみ深い方で、私達に絶えず
気前よく、いつくしみを注ぎ、また示して下さっているからだと思います。

 神さまは、計り知れないいつくしみで全世界を覆ってくださいます。
 私達はその中に生き、またそのいつくしみの中に生きることを求められています。
 神さまのいつくしみは、私達一人ひとりの中で生きたいと強く望んでいらっしゃいます。
私達に必要なことは、私達の心の中で働きたいと願っていらっしゃる神さまのいつくしみ
に対して扉を開いていくことなのではないでしょうか。
  
 この「修道院便り」を読んでくださっている皆様お一人お一人が、いつくしみの深い泉
に心ゆくまで浸り、そして生きてゆかれますように祈っています。