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使徒的書簡「愛の喜び」から   Sr.関雅枝(フランス在住)


 田舎の美味しい空気とのどかな景色そして美しい自然を後に、レジオン・ドゥ・パリの
本部修道院に戻って来て早半年になる。

 その昔初めて日本から来た時、本部修道院の修室の大きさにびっくりしたものだが、今
度は敷地も建物も修室もとても狭く窮屈に感じ、慣れるのに苦労した。介護や医療の扱い
も都会のスピードと法律で動くので、サンジャームが恋しく思いたくもなる。

 そんな中でわたしの心を暖めホッとさせてくれるのは長い修道生活をへて変容して行く
姉妹たちとの再会である。
 使徒的書簡「愛の喜び」の4章で教皇ベネディクトはコリント人への第一の手紙13章に
ある愛の賛課を解釈して、夫婦の愛、家庭の愛に於ける忍耐について述べておられ、忍耐
という言葉の本来の意味を説明し、わたしたちの信望愛を神の忍耐へと鼓舞しておられる。

「神は怒るに遅く……」(出エ34、6)それが神様の特徴だと……。
 また聖パウロがこの賛課の背景にしているのは神様のわたしたちへの回心を待つ心(知
恵の書11、12章参照)を表現していると……。

 忍耐の行為はわたしたち罪人に対する神のいつくしみの業で、そこには真の力があると
教皇は言われる。
 ふたたび、みたび一緒に生活するようになって、わたしはそれを文字通りあかししてい
るかのようにそれぞれの姿を見る。あんなに冷たい雰囲気を持っていた人が、何と温かく
なったのかとか、すぐに怒ってカッカとしていた彼女がすっかり落ち着いているなど……、

 時の流れのなす業は何と希望に満ちていることであろう。
 96歳を先頭に80代以上が半数を占めるこの共同体のメンバーに加えられ、そんな想いを
しみじみと味わっている。
 聖パウロとともに「早く永福を味わいたい」と思う反面、修道生活のなかで神様が与え
てくださった親友とも言える姉妹と「おまえ百までわたしゃ九十九まで」とふざけていた
私だが、ともかく今はただ、いただいた生を最期まで神様の息の長さに信頼して、修業の
ため使いたいと思っている。

 以上、今年のわたしの心境まで。修道院便りのひとつになっただろうか?