『夢の中で、私と神様が砂浜を歩いています。
私の人生が映し出されて、いつでも砂の上にはふたりの足跡(私と神様の足跡) が残さ
れていました。
でも、私の人生で辛く悲しい時に限って、ひとつの足跡しか砂浜には残っていませんで
した。私は神様に、
「私があなたを一番必要としていた時に、なぜ私の元にいてくださらなかったのですか?」
と尋ねます。
すると、神様は「あなたの試練と苦しみの時にひとりの足跡しか残されていなかったのは、
その時、わたしがあなたを背負って歩いていたからなのだよ」とおっしゃるのです。
<世界的に有名な詩、Footprints(足跡)の英文からの要約>』
10年以上前にこの詩に出会い、それ以来、海岸で誰かが残した足跡を見るたびにこの
詩を思い出していました。
自分が試練にある時、神に見放されたのではなく、むしろ逆だったという発想に
「なるほど物事をそのように考えれば、気持ちが少しは楽になるのだろう」と軽く考えて
いたのです。
ところが数年前に自分の歴史を観想した時に、この詩にある神の計らいを深いところで
感じたのです。これまで挫折や喪失体験に遭遇し、辛くて自分の力ではもう立てないと思
った時に、神が私を抱きかかえて一緒に歩いてくださったのです。そして、慰められ、救
われ、助けられていたことに気づいたのです。
その時は一人分の足跡しか見えません。それは私のではなく、神の足跡でした。
神は傲慢で自分本位な私に憐れみの眼差しを注いで、すべてを受入れて、赦してくれて
いたことに気づき、感謝と喜びで大粒の涙がとめどもなく流れました。
「これまで生きてこられたのは家族や友人、知人、恩人、多くの方々の助けと支えがあり、
そして何よりも神様が私の苦しみを背負ってくださっているからだ! 私が一人で頑張っ
て乗り越えてきたのだと、誇らしく思っていたこともあったけれど、決して自分の力では
なかったのだ」と心の最奥で感じた瞬間でした。
私たちが神から見放され、見捨てられたかのように感じる時こそ、主が最も私たちの身
近にいて、苦しんでいる私たちを放っておかずに、救い出してくださいます。
主の愛はあまりに偉大で、その奥深さ、高さ、広さ、大きさは私には想像すらできませ
んが、空間と時間の枠を超えた愛を感じることはできます。信じることはできます。奉献
生活という恵みをいただき、今、私は永遠の愛の中で主と一緒に歩いています。
わたしのそばにはいつも、もうひとつの足跡が…。
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