私は物心がついた頃から、生きる意欲の薄い者でした。 この世に生を受けた事への不満と存在する値打ちがあるのか否か。私自身、自分の存在 を否定し続けていたのです。 信仰の恵みに与ってから後も「主よ、私の人生を終わらせてください。私は生きる価値 のない者です。」とずっと祈り続けました。 私は決して不幸ではなく、明るく、楽天的な性格ですが、極度の恐怖心や怒り、孤独、 悲しみ、又責任感が強く緊張しやすいといったこれらの事が私を苦しめ、息苦しくし、疲 れやすくしてしまい、それが(身体の弱さと相まって)原因だったのだと、つい最近祈り の中で気づかされました。 しかし だからといってこの思いから解放された訳ではありませんでした。 そんな或る日、やはり念祷の時でした。 「私の人生を終わらせてください!御父よ、どうか私の願いを聞き入れてください!」 私が涙を流し、御父に訴えていたその時、はっきりした声が聞こえてきました。 「生き続けなさい。私はそれを望んでいる」と。 この時、長い間、私を苦しめ続けてきたこの事にはじめて答えが与えられたのです。 すべてに時があるのですね。このお言葉を聞いた瞬間、目の前がぱっと明るくなり、 喜びに満たされました。 「私は生きるんだ!年若くしてこの世を去った夫の分まで!」 いつの間にか両手を握り締め、体は前のめりになっていました。 御父の私に対する愛といつくしみを深く感じた瞬間でもありました。 思い起こせば今迄、散々放蕩の限りを尽くしました。 御父の呼びかけに気づいていたにも関わらず、ひたすら逃げ回っていました。 しかし逃げても逃げても御父は追って来られるのです。神の御手からのがれることは できないのだと私は悟りました。 御父の言葉が聞こえました。 「もう好い加減に観念しなさい!」 「はい!御父よ、観念致します!罪深い私をどうぞお許しください!そしてどうか私の 信仰と心身を強め、御父の望まれる道を歩む事ができるよう、助け、お導き下さい!」 |