天地創造の時、
「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を地に芽生
えさせよ。」創世記1章
木と草の葉の色が緑であることはなんとふさわしいことか。
青でもなく、ピンクでもなく草の葉はみどりがピッタリと思う。
神はそれぞれの被造物にふさわしい色をえらばれた。
草や木のみどりはやすらぎを与える色のように思う。
「主は羊飼、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ憩いの水
のほとりに伴い、魂をいきかえらせて下さる。」詩編23
イスラエルの荒野の中の青草の原と、日本の国に住んでいる私がイメージする青草の原
はちがっているかも知れないが、魂が生きかえる場となっている。
山上の垂訓の場でイエスさまも草の上にすわって、人々を草の原にすわらせて、幸いな
るかなと話をされたのではと想像します。
ラビナフマン著「瞑想のすゝめ」の中に、
「野の草のうたをきく、葉の一枚一枚が神にむかってうたっている。何の秘めた動機もな
く、何の報いも求めずに。草の原の真ん中でその声を聞いて、神を礼拝することは、最も
すばらしいこと。
草の野の中で人は神のみ前に真実に自分のおもいを言いあらわせるだろう。」
とありました。
この文章を読んで思い出したのは八木重吉の詩です。
木はわたしの寂び
草はわたしの静けさ
*
草はひとすじの気持ちを外さらぬ
深く教えられる。
修道院の庭や近くを散歩して、いつも思うこと、
特に6月ごろスーとのびた草の線の流れがなんとも美しく、イエスのみ心を感じさせる。
主のいつくしみ。
草の葉に 朝つゆおりて
キラキラと
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