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平和とは?      Sr.Francisca 岡島静代

 2015年の秋、私は本部での会議のため渡仏し、滞在中ノルマンディー地方にあった支部 修道院を数日間訪問した。  その折、修道院の近くにあるアメリカン墓地を3人の姉妹たちと一緒に訪れた。そこは、 第二次世界大戦末期ナチスドイツが占領していたフランスへアメリカ、イギリスをはじめ とする連合軍の、かの有名なノルマンディ上陸作戦で戦死したアメリカ兵の眠る墓地だ。  広大な敷地に白い十字架が整然と並んでいる。慰霊塔の石碑には名前と年齢が彫られて いた。主な年齢は20代前半、18、19歳というのも少なからず見えた。同じような墓地がこ の地に3か所あるという。戦死した兵士は何万人だろう。  私は胸が一杯になった。同時に南洋諸島で戦死した日本人兵士のことも想った。  敗戦国である日本兵の墓はおろか、遺骨収集もまだという。  芝生と木々に囲まれたシャペルと呼ばれている教会堂のような建物に入った。 周囲は美しいステンドグラス、おびただしい国旗、祭壇のようなものも前面にあった。 壁一面の地図に第二次大戦のナチの支配と連合軍の動きなどが分るような地図が書かれて あった。  ナチがヨーロッパ全域を占領した図だった。私はそれに圧倒されてしまった。 改めてナチの勢力の強大さを思い、もしアメリカが参戦せず、連合軍がフランスに上陸し なかったらナチの全ヨーロッパ支配は確実だったろう。  そうしたらこの世界はどうなっていただろう。  戦争を避けるためには対話、外交でと言われる。私もそれに賛成だ。  でも、もし相手が対話のできない相手であったら?一方的に侵略しか考えない相手だっ たら?  近年にも平和のうちに生きていた武力を持たない国が大国に侵略されることが起こった。 しかし国際社会は何もできなかった。  ただ、戦争反対!と唱えるだけでいいのだろうか。武力を持たないことが良いのだろう かと思うのはキリスト者として、イエスさまに従う者として相応しいことではないだろう。 なぜなら、キリストは「剣を持つものは剣で滅びる」とおっしゃった。  まだ、私は答えを見つけられない。ただ、何も考えずに、戦争反対!武力反対!だけを 叫ぶのは責任のない態度だと思う。  真の平和はいつ訪れるのだろう。分かっているのは、私たち一人一人の中に真の平和が あってこそ世界の平和は築くことができるということ。 「主よ、憐れんでください。」この祈りしか私にはない。