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「 天の国は・・・ 」

Sr 服部美智子


 最近、死について書かれている本が目に留まるようになった。
私の家族は、父、兄、母、妹の順で既に亡く、本会の多くの姉妹たち、知人達も天 国に召されている。
 数年前までは、他の人が死について話しても、私にはピンとこないと言うか、ま だずっと先のことだから、という感じであまり真剣に受け止められなかった。 然し 「死」は誰にでも公平に 1 回必ず訪れる大切な時だ。それで、今から心の準備と身 辺整理を心がけて生きようと思う。

 主イエスが、福音の中で語っている天の国は;「天の国は一粒のからし種に似て いる・・・天の国はパン種に似ている・・・天の国は畑に隠されている宝に似てい る・・・」と普通には考えられない大変素晴らしいところのようだ。

 唯、私は死んだら真っ直ぐそこに行かれるのか?それは解らない。主が十字架の 苦しみを通って復活されたように、私も多くの苦しみを過ぎ越して復活に到達でき るのではと思う。私は愛が足りないので、もっと我意に死んで愛に生きたいと願っ ているのだが、日々の生活の中で、ふと気が付くと自己中心に生きている。
 最近読んだ本の中に、あ〜このように死を迎えられたら良いなあと思う文章に出 会ったので引用してみる;

「週末を越すことは不可能と思われていた母の命は、不思議に生き長らえて日曜日 にもかすかに呼吸を続けていた。その病床に付き添いながら、思わず私は母の耳元 に“あと 3 日頑張って!”と訴えてしまった。というのは 26 日には病弱の夫と子 供 4 人を含むベトナム夫人M一家の引越しがあり、27 日には 6 人の子供を抱えた K未亡人の就職面接に同行することになっており、28 日は被告 C 青年の裁判で、 彼のため証言することになっていた。従ってこの 3 日間はどうしても、これらの人 たちのため休むことが出来なかったからである。
 そして、母は 3 日間頑張り通してくれて4日目に息を引き取った。
 母の枕元で“よく頑張ってくれてありがとう。もう頑 張らなくていいんだよ。あ りがとう”と手を合わせて拝んだのであった。」

 一人息子を司祭として神に捧げて、最後まで息子の司牧活動に協力して逝かれた 母の姿、親の愛に心から感動した。