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03 ミサの奉献
Sr.Francisca 岡島静代


 この数年間に、私の家族も含め、修道院の恩人、友人の数人が天に召されていきました。
 皆さんは、私個人にとっても、共同体にとっても、かけがえのない方々でした。

 黙想会や霊的指導でお世話になった司祭方、修道者の方々、献身者、建築関係でお世話 になった方々、物的に援助して下さった方々、などなど・・
 生前にも恩人友人の皆さまにいつも感謝しておりましたが、亡くなってからはさらにひと しお、その御恩が思いだされ、涙と共に感謝の思いで胸が一杯になります。
 私たちは、毎月一回、恩人、友人、家族への感謝のためにミサをお捧げしてい ますが、同じように、毎月一回、亡くなった恩人、友人、家族のためにもミサをお捧げしています。 そのミサにおいては、私は特別な思いになるのです。

 毎日ミサに与っていますが、その日のミサは何かいつもとは別な気持ちになるのです。
 一人ひとりの方の人生が思いだされます。多くの人々は人生の中で様々な苦労、痛み、 悲しみを味わって来られたと思います。それらは決して無駄ではなかったと、ミサを通して 感じるのです。その人びとの人生の意味がミサの中で感じられるのです。
 それは、おそらくキリストの奉献と一つになるからだと思います。
キリストを信じていたか信じていなかったかは関係ありません。ミサの中でイエスはご自分 を御父に奉献されます。その奉献に亡くなった人々はあずかっている、と強く感じます。
一人一人の人生の全てがそこで奉献されるのです。イエスと共に。

 イエス・キリストは十字架上で全ての人を招いておられます。
 そして今も懐かしい人々の顔がミサの中で思いだされてきます。