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私達の禁域

Sr. Maria Faustyna 小林清美


 修道院の敷地内には、様々な木々やお花があります。
 秋になれば、金木犀の香りが漂い始めます。
「あっ!」と思わず振り返ってしまうような美い香りです。
 時々、雑草にまぎれて「あれ?こんなお花うちにあったっけ?」とうっかり見逃してしてしまうような場所に咲くお花に気づくこともあります。
 小鳥のさえずりが聞こえたり、
 いつの間にか禁域内に居ついた猫の親子の姿が見えたり。
男の子の子猫は警戒しながらもとても好奇心が旺盛で、こちらの様子を伺いながら少しずつ近づいてきたり、木に登ったり、
 女の子の子猫はおとなしくて、警戒心がとても強い割には、歩いている虫を捕まえて食べたりと、
 日に日に成長していく彼らはいろいろな姿を見せてくれます。

 一見、何もない日常が流れているだけのように思われるかもしれませんが、禁域の中は小さな出来事や風景がいくつもあり、その季節によって、いろいろな表情を見せてくれます。

 禁域は観想の生活に欠かすことのできないものであり、神さまと深く一致できる場です。
 不必要な情報や、映像、いろいろな通信手段から守られるということは、神さまとの関係の中に余計なものが入るのを避けることができるということでもあります。どこかで外部との接触を断つスペースが外的にも内的にもなければ、私達の生活は崩れてしまうでしょう。
 囲いの中の生活は決して不便なものでもなく、つらいものでも、息が詰まってし まうものでもありません。
「ただ神のみで足りる」という喜びを体験できる場だと思います。

 禁域を選ぶということは、生涯神を選び続けるということだと思います。「何ものもキリストの愛に優先させない」生き方を選んだことの証であると感じています。