Sr. 関 雅枝

 フランスで生活してかれこれ 30年、相変わらず言葉は悠長と言えないのだが、実際に生活する 場と言うことで身につけることも少なくなかった。何かを理解するうえで生まれてからの経験 や知識も手伝ってくれることも多くあったので今の私の考えはそれらの混ぜこぜであると思っ てほしい。
 たとえば今回同じ唯一の神を奉じているイスラム教信者の話を分かち合いたいのだ が、私が入会したころ日本で身近な人の中にイスラム教徒の知人はいなかった。 その後ニューヨークでの事件、中東での過激派組織の状態を通して、もし私の生活の場が常に日本であったなら、私の考えは今と同じと思えないと感じる。

 前置きはさておき、私は今、日に何回も多くの外国人介護援 助者のお世話になって生きている。実に多くの国籍の人、たとえ生まれはフランス でも二世三世の人が生活のためみんなが望まない仕事についている。
 その一つの職種に介護援助者というものがある。アフリカからの人たち、アメリカ大陸の某国、 もと植民地、あるいは今もフランスの県のひとつであるところからの人に加えて、 モロッコ、チュニジア、アルジェリアなどからの人々が就職している。

 私も介護福祉を受けている一人なのでこうしていわゆるアラブ民族の人との知己がおのずと増えていった。キリスト教徒、イスラム教徒と一口に言ってもその信教のほどはそれ ぞれであるが私は何人かの真のイスラム教信者と親しくなった。お互いにお互いの 宗教に深い尊敬を持ちながら共に生きられるのはなんと心温まることであろう。

 その中の一人はとても気の毒な過去と、家族の病気を背負っての今を生きているのだ が、ただただ神の慈愛に望みをかけて生きている。
 先日ちょっとした給料計算の行き違いがあった時、彼女は 「入金しないならそれでいいのよ。神様が見てくださるのだから」と言う。
 「本当よ。少し前に娘が歯の治療をしなければならなくてそれが50ユーロ (約 6350円) 掛かると言われたの。お金ないしどうしようと思案しながら道を歩いていて、ふと下を見た ら何かが落ちていてよく見たら 50ユーロ札じゃない。誰が落としたのかなーと思っ て周りを探したのだけど誰もいないの。それで私それを貰っちゃったわ。そして娘 の歯の治療代にしたの。本当よ、神様は私にいつもよくしてくれるんだから」。
 私は彼女が愛おしくて抱きしめてあげたい衝動を覚えた。日本の美談に出てくる結末 にすると拾った50ユーロは必要にも拘らず交番に届けましたとなるかもしれないが、そこは文化、民族を異にする人の反応、私の神様であるイエスだって私と同様に 彼女の行動を愛おしく思ってくださったのではないかと思った。その彼女が言うに は神様は彼女にいつもお心を見せてくださるのだそうだ。

 先日もトマトをひとパック買ったらその中に心 ( ハート ) が入っていたと言って、 スマホにおさめた写真を送ってくれた。(この記事の冒頭に搭載した写真である)

 また他のひとりに丁度ブルー(私の住んでいる町)から遠くないモンフェルメイの町 (そこにはアラブ人がたくさん住んでいて物騒なところとして有名なのだが) で起きた暴力沙汰についてどう考えるか聞いたところ、
あれはマホメットの教えではないと反論されたものである。かれら貧しくも正直に生きているアラブ人にとって過激派の行動は甚だ迷惑だと言っていた。
 アラブ人の職人もアラブ人と聞くと即過激派と思われてしまうの でたまらないとのことだった。
 二度目にフランスに永居した時には黒人が多くなった ことに驚いたが、アラブ人には注意が向かなかった。それが今ではこの通りである。

 まだ分かち合いたいエピソードはいっぱいあるが締切日も過ぎていることだしこ の辺で終わりにしようか。
 皆様、良いクリスマスと新年をお迎えください。