秋風がそよぎ、虫たちが命を奏でるこの頃、空を見上げると白鷺が飛んで行く。
一ヶ月前、自分を見つめ直す機会として故郷へ帰った。故郷を離れて数十年、
その地を踏む時、何を感じるのか、私は知りたかった。
遠い山並みが見える。広がる畑、点在する人家、森、あの空、ああ〜家族を育み、
見守ってくれた家だけが、時に耐え、佇んでいる。
「変わっていない!」の一言が心に響く。
“何故?”今、私の錯覚、感性、妄想(!?)は、時は流れているのに、子供の時
感じたものを、感じている。全ての物を包みこむ深い沈黙と命の躍動を。
この家も誰かが訪れて住まうと、長年生活していたかの様にすぐに蘇る。誰かが
見守っているのでは!と思わせる不思議な家。
今年帰天した友達が「ここに来ると、何故か、心が安らぐ。」とよく言っていた。
この地は私にとって、両親から生を受けた地ですが、魂の萌芽の地でもある。
自然の厳しさと優しさの中で遊び、学び人知を超える存在を体感してきた。見つ
めれば見つめるほど秩序、調和、善と美が透けて観えてくる。この地で、沈黙の
言葉が在ることを、そして、黙して働く両親の姿の中に、祈りを観た。
心身共に暗黒に突き落とされ、ぺちゃんこになって、故郷の地を踏んだ時があ
った。青草の生えている大地に手を置くと、暖かかった。誰もいない大自然と自
分だけ。大地に横たわる。深い静かさ・・・背中に伝わってくる温もりに包まれ
てこのまま死んでもかまわない。この地で死ねる!と実感した。涙がこぼれる。
ただ・・有難くて、深い喜びと平安が内から湧いてきた。
兄は今年も、雪の無い時期だけ、本州から車で故郷に帰って、一人家の回りを
耕し自分で食べる野菜を作って、仙人の様な生活、隠遁生活を楽しんでいる。
兄の郷愁?・・決して楽とは言えないのに、彼の思うところ、感じるものがある
のでしょう。
電気と水道だけはあるが、現代文明にはほど遠い暮らし。山から木を切って来
て薪を作り暖房と煮炊きに使う。過度の快適と便利さから離れると何をするにも
体と知恵を使う必要がある。太陽と共に起き太陽と共に寝る、何とおおらかで清
々しいことか、委ねる心が育っていく。
生きている事、生かされている事を味わい感動し感謝の心が湧いてくる。人が
大地に立つとは、こういう事なのか。 私も飛び入りで、これらを味わってきた。
この素晴らしい故郷を、恵まれた家族を有難う。
こうして今の私が在るのです。
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