どどん、がたがた・・・・、ひどい揺れだ。
しばらく机の下に身をひそめる。
そうだ、戸が開かなくなっては困る。手をかけたが動いているのでむつかしい。
ようやく引いたところへ車イスを押して若い姉妹たちが出て来る。あっぱれな落ち着き振り。
さて全員が庭へ出ると止めてあった自動車が少し浮いて、ふわふわと前後している。隣地の建物の瓦が半分ずり落ちている。倒れた家はなかったようだが、あちこちの屋根に青いシートが掛けられ半年たっても修理は終わらない。千葉県沖が震源地で震度6に近かった。
そんな時、かねてより念願の聖堂建築の話が持ち上がった。当時(1988年)は食堂の隣の奥まった広い部屋を引き戸で仕切って聖堂にしていたのであるから、別棟にして多勢の信徒の方々にも利用していただける聖堂が欲しい。
当時の院長を中心に皆で話し合った。私たちの体力でもう一つの建物を維持できるのか。度々地震のあるこの地で被害の恐れはないのか、質素な部屋でも私たちと祈りを共にするのを喜んで来られるグループもある。これが私たちにふさわしいのではないか、等など。その頃友人から一冊の本をいただいた。それは道元禅師の教えを弟子が書き記したもので、仏道の修行と修道生活に共通点が見出され参考になったが、その中で次に引用する建仁寺の栄西の逸話に心を打たれた。
ある時、僧正の弟子の僧が、「今の建仁寺の寺の敷地は、加茂川の川原に近いから、後世、洪水にあう危険がありましょう。」と言った。 僧正は、「われわれは、後世になって寺がなくなる心配までしてはならない。インドの祇園精舎でさえも、礎石だけしか残っていないが、それでも寺院建立の功徳はなくなりはしない。後代はどうあろうとも、今さしあたって1年でも半年でも、ここで修行が行われる功徳は、莫大なものであろう。」と言われた。(正法眼蔵随聞記3,2)
全く栄西禅師の言われる通りである。私たちが今を生き行じていることの価値は時空を越えており、聖堂で捧げられるエウカリテア(ミサ)は、すべての人の救いのためである。私は、何と小さな考えにとらわれていたことか。思いわずらいは主にゆだねて、今を十全に生き、日常に徹したいものである。