修道院便り2007年


主はみなさんとともに       トラピスト修道院 野口義高

今年の 6 月から白子に滞在しています。太平洋に直接面した九十九里浜の波の荒い海岸とそれとは対照的なのどかな田園風景に囲まれた白子町。そこにある十字架のイエス・ベネディクト修道院の一角に迎えていただき、あっと言う間に半年を迎えようとしているところです。

猛暑というより酷暑だった今年の夏。毎日、九十九里浜の海岸で海風に吹かれて涼を取った日々が今は懐かしくさえ感じられます。 6月はあじさい、 7月は浜昼顔にカンゾウ、 8月はハスや芙蓉ふよう 、 9月は萩、 10月は金木犀きんもくせい 、そして今 11月は椿の花が目を楽しませてくれています。そんな自然に包まれた恵みの日々を重ねてゆくにつれ感じること、それは季節とともに変わりゆく大地のまとう美しさが少しずつまとまった輪郭をもった心象となってくると同時に、ちっぽけな私という存在を超越したいという衝動にも似た感動が内側からこみあげて来ることです。言い換えれば、神の創造の業である「自分」が自然という神の同じ創造の御業みわざ を観想することによって、互いに通じ合い、共鳴し合って創造主への賛美を歌いたいという心の底からわき上がってくる思いなのでしょう。

修道院の内部に目を転じれば、聖務日課やミサ聖祭も一日中を神への賛美で満たし、典礼を通して賛美を捧げる私たちを創造主への観想の小道へと誘っています。

かつて中世ではゴチックの大聖堂の丸天井の内部を天にまで飛翔するかのような聖なる旋律で満たしたグレゴリオ聖歌やラテン語での聖務は、ここ白子修道院においてはガラスの障子を通して柔らかな光の注ぐどことなく茶室を思わせる聖堂で、詩編の歌唱については平易な共同訳聖書の本文が用いられ、姉妹たちは日々の典礼を通して祈りの泉からいのちの水を汲み出しています。姉妹たちにとって祈りと聖歌は特別なものではなく、たとえば食事し、散歩し、手仕事をし、読書するのと同じように生活自体が祈りであり聖歌と等しい存在なのでしょう。それほどに姉妹たちはよく祈り、よく歌っています。それは神のみ前における魂の癒しへの静謐な 祈りでもあります。

修道院聖堂の客席から典礼にあずかる客人が皆、姉妹たちの心を合わせ声を合わせた響きから魂をなぐさめられる経験をし、あるいは安らぎを心に感じた、と語ることばに、私もまた共感を覚えずにはいられません。

こうした典礼や念祷で育まれた魂が共同体の中で姉妹愛の絆に結ばれて、聖ベネディクトが教える「主への奉仕の学舎」での業と奉仕に励む姿は、本当に美しく輝いて見えるのは当然でしょう。聖堂での賛美は賛美だけで終わるのではなく、神への感謝と姉妹たち一人一人への信頼へと繋がっています。

典礼でのことばを用いる 祈り は日常の無言の 祈り へと変容し、無言の 祈り は神への 観想 へ、そして神の 観想 は神との一致の高みへと魂を導いていることを姉妹たちの姿は示しています。

この白子修道院の姉妹の皆様方とご一緒に、神の創造のみ業のすばらしさを日々たたえることができる恵みに感謝する毎日です。

 

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