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50という年

Sr. Maria Gratia 佐々木あとみ



 50年目。旧約聖書では、これを「ヨベルの年」として紹介されている。(レビ記25章)

 土地が買い取られていたなら、その土地は、もとの持ち主に返される。
 人が奴隷となっているなら、その年には自由の身となる。
 すべてが神の手に戻され、すべてが解放される。
それはまるで、すべてが完全な、世界の創造の初めの時のようであり、すべてが解放される終末の時のようでもある。人が神を忘れないために。神が望まれる姿と人がなり、神が示される生活を人が生きるために。

 10年一昔ということばがある。白子共同体には、この10年ほどの間に、修道生活50年、いわゆる「金祝」を迎えた姉妹たちがいる。
 80歳に手がとどき、90歳をむかえんとしている姉妹もいる。しかし、その姿は、たんたんと毎日の日課をこなし、一日一日を精一杯たいせつに、けれど必死に歩む。
 生きている、いや生かされている現役なのだ。

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 50年の道のりは、けっして平和な日々だけではなかったであろう。雨の日、風の日、嵐の夜も過ごしたことだろう。しかし、その単純で、聖霊のさわやかさと共に生きぬいて行く姿は、見る者に感動をあたえ、「私も、あの道のりを歩んで行きたい」という気持ちを起こさせる。
 同時に彼女たちの笑顔からは、ほっとした安堵感が感じられる。50という年、神とそして本会と共に歩み、神の業を見続けた人だけが持つ、その笑顔。

 私はちょうど、50歳になった2011年に初誓願を立てさせていただいた。ちょうど50をむかえた年に、ヨベルの年を味わわせていただいた。すべてのものが神の手の中で完全に解放される、その前味わいをさせていただいたのだ。

 2018年、日本の共同体は創立50周年をむかえる。50というヨベルの年を経て、神の恵みの内に、共同体のすべてが解放され、すべてが神の手の中に戻されて再創造される。そして新たな50年への歩みを始める。
 この一年間、私は特別許可をいただき、修道院外で研修を受けさせていただいている。まるでそれは、新生児が生み出される前の準備期間のようだ。

 この研修後、私は新たな気持ちで誓願更新をさせていただきたいと願っている。神の手によって、新たな50年を歩み始める白子の姉妹たちと共に生き、生かされるために。