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13 二つの台風と豪雨 in 令和

Fr.エンマヌエル野口義高(トラピスト)

 昨年の今頃は、来年2019年から出発する新元号がどのような名称になるのか、想像の内に予測しながら、子供のようなわくわく感と新しい時代を迎えるちょっぴり高揚感 の中で年末に向かっていたように思う。
 年あけて4月1日には、新元号が多くの人が予想しなかった「令和」と発表され、5月1日から予定通り令和の新時代がスタートした。

 誰もが自分の生活をリセットすることは至難の業。でも、否が応でも国全体が新しい元号に移行し、毎日の生活は昨日と今日と何ら変化はなくとも、正月をむかえた元旦の朝以上に、理由らしいものをあえて見つけ出そうとすることなく、あいまいな希望と変化を胸に感じたのではないだろうか。そうやって令和 元年は船出し、5月、6月と進み、またいつものように夏がやってきた。

 ところが、今年の夏はどうだっただろうか。昨年の7月との対比に愕然とする。あまりの酷暑、いや殺人的炎暑で、戸外に出ることさえためらわれた。それがである、今年の7月は全国的に梅雨明けが大幅に遅れ、7月の最終週になって関東はやっと梅雨明け宣言。連日降り続いた雨と晴れ間のない空で、16年ぶりの梅雨寒の7月となった
 遅ればせながら8月からは安定した夏空になるのかと期待していたら、見事に裏切られた。突然の猛暑と数日毎に繰り返す大雨が日本中は翻弄された。

 来夏はオリンピックが開催されるのに、と誰もが迫ってきた現実に不安を感じたのではないだろうか。

 そして台風が次から次へ発生し、ととぐろのような渦を巻いて日本を襲った。
 その 中でも台風15号、19号は甚大な被害をもたらし、大きな爪痕を残した。令和元年台 風第15号は9月5日に発生し、関東地方に上陸したものとしては観測史上最大クラスの勢力で、9月9日に上陸して房総半島を中心に大規模停電、断水が引き起こし、住宅被害は1万棟を超え、亡くなられた方もいる。白子修道院は多少の被害はあったものの、全員無傷であった。
修道院周辺は台風一過の翌朝、いろんなものが道路のみずたまりにふきだまりのようにたまっていたが、目立った被害はなさそうだった。
それでもいつもの散歩道を歩けば、あちこちの家屋の屋根瓦が飛んでいる。みると、駐車場は満車で、店内は何と多くの客で混んでいることか。 それも、地元の人だけではなさそうだ。商品棚はすぐに食べられるパン類やおにぎり、弁当類が空。スナック類もほとんど何も残っていない。冷凍食品だけが少し余ってい た。窓側にしつらえてあるイートインと呼ばれるスペースでは家族づれが席を占有し 店内で買ったカップラーメンにその場でポットからお湯を注ぎ、疲れた顔で黙々と口に運んでいた。
 行列の並んだレジでは、湯気の立った「おでん」を山盛り買い込んでいる人もいる。店員はレジ打ちを終えるとほとんど「つゆ」だけになった仕切り鍋に具材を追加したり、奥のバックヤードと店内を段ボール箱を足早に運んで忙しそう。在庫のあるものをとにかく全部並べようとしているようだ。
後で聞けば、コンビニ以上にドラッグストアやスーパーでは同じ風景が見られたそうだ。

 房総半島南部の状況は回復が日ごとに遅れつつも、台風15号による各地の被害を伝 えるニュース報道が一段落ついたように見えていた10月12日、今度は台風19号が上陸し、関東地方や甲信地方、東北地方などで記録的な豪雨災害となり、台風15号を上回る規模の甚大な被害をもたらした。
 台風15号の後に損壊した屋根の応急処置にかぶせてあったブルーシートが飛んでいるのはまだ軽微な被害だったようだ。
 9月末に行方不明となった少女の捜索されていた山梨県のキャンプ場は壊滅的だと心を再び痛めるニュースを聞いた。
 その翌々週の25日、弱り目に祟り目とはこのことかと思わせるほど、今度は台風21号の影響を受け、東海地方から関東にかけて至る所で豪雨による 河川の氾濫が起こり、各地で越水や浸水が確認された。

 白子に隣接する茂原市も一宮川が決氾濫し、茂原教会の信徒さん宅は床上浸水だったと伺った。
房総半島と言えば沖合に暖かな黒潮が流れ、四季を通じて温暖で自然災害に合うことも少ない、と言われてきた。真冬でも雪の積もる日は珍しく、1月から3月にかけては春を先取りする南房総のお花畑は菜の花、ポピーなどで埋め尽くされる。
白子でも2月下旬には濃いピンク色の河津桜が咲き競う「しらこ温泉桜祭り」が開催され、電車もないのにかなりの観光客でにぎわう。遠くにはテニスを楽しんでいるかけ声とラ ケットでボールを打っている音が響き、目を転ずれば、白サギが大きな羽をひろげて田んぼに舞い降りる、のどかな田舎町である。
 だが、今回の二つの台風と豪雨は抗おうとしても防ぐことのできない自然災害の脅威と、地球環境に対する人間の責任を痛感させるにあまりあるものであった。まるで地球が身に染みついた汚れを身震いしながら水で洗い流しているかのようにさえ思えた。
 家屋の損壊被害に遭われた方、亡くなられた方、避難所生活を余儀なくされた方々に私たちは寄り添う者でありたい、そう祈り続ける。 o  二つの台風の去った後に、気づいたことがある。台風の去った数日後から、宿泊客のいない白子のホテル群の駐車場が多くの作業車でいっぱいになっていたことだ。テニス客のワゴン車や普通車ではない。早朝にいつもの海岸通りをぐるりと一回散歩していると、ホテルの駐車場に日本各地のナンバープレートを付けた大型のはしご車や 電源車が駐車しているのに出くわした。朝6時、ホテルの出入り口からは次々に作業服姿のグループが両手にザックや紙袋を提げて出て来て、それぞれの車へ乗り込む準備を始めている。
 台風15号の時には新潟ナンバーや東北ナンバーが、台風19号の時 には関西や四国電力と車体に書かれた愛媛ナンバーも多く見られた。東北電力上越支 店、佐渡支店などと社名の記載された車体のフロントガラスには「災害支援車」「復興支援車」とステッカーが貼られていた。全国から駆けつけてくれたんだ、それがわかった時、思わず目から涙が溢れてきた。不審者に見られないよう帽子を目深くかぶり直し、うつむき加減ですれちがったのだが、心の中では、ありがとうございます、本当にありがとう、と深く礼をしながら言い続けていた。報道はされないかも知れない。でも、被災地のためにこんなにがんばってくれてる人たちがいる。そう思うと、日本はまだ、まんざらでもない、という希望と暖かさを感じた。

 激しくアップダウンの繰り返しだった2019年は令和の号砲と共に私たちに多くの出来事を刻み始めた。主イエスが、受難と死と復活を通してただ御父のみ旨を果たす毅然とした決意でエルサレムへの道を歩まれたように、私たちもどのような時であろうと、主の跡に従うものでありたいと思う。
 2020年がすべての人にとって祝福された年となりますように。
 微笑みと涙の向こうに、喜びと悲しみ老超えた地平線に立っておられる主イエスに、ともに会いに行こう。




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