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Sr.Maria Igntia 塩澤 幸子さちこ



 初夏から真夏にかけて、こちらの修道院の玄関と聖堂の間の中庭にドクダミが群生して一面に白い花が咲きます。
 数年前に修道院に来て、草取りの作業をしたときにドクダミに出会いました。素朴で可憐で清楚な十字架のような白い4枚の花弁(実はこれは花を保護する葉)とハート形の葉っぱに目を留めると、中心に真黄色のめしべのようなもの(実はこちらが花)が凛と立っていて、躍動感と生命力にあふれるその姿に見とれてしまいました。しかし、で修練長から根こそぎ刈り取るように指示されたので、泣く泣く心の中で「ごめんね」と言いながら、片端から根っこから葉も花もすべて刈り取った日のことを思い出します。
 今年は新型コロナウイルスと例年にない長梅雨や豪雨、猛暑などでこちらの生活もさまざまな変化がありました。これまでの生き方や生活を見直す機会が与えられる中で、私は仕事や勉強であれこれ忙しく、また、共同体の人間関係に悩み、自分の弱さに直面して心の余裕がありませんでした。
  心身に疲れが現れ、無性に息苦しく感じたある日、図書室にある星野富弘さんの詩画集(『風の旅より』)をパラパラとめくっていたときに、ドクダミの絵と詩に目がとまりました。
「おまえを大切に摘んでいく人がいた/臭いといわれ嫌われ者のおまえだったけれど/道の隅で多くの人の足許を見上げひっそりと生きていた/いつかおまえを必要とする人が現れるのを待っていたかのように/おまえの花 白い十字架に似ていた」
 星野さんの描く絵も詩も本当に優しくて、花に対する愛情がダイレクトに伝わってきて、また、詩の言葉のひとつひとつから聖書の中でイエスさまが野の花に向ける慈愛に満ちた眼差しと言葉が思い起こされて、私の心は喜びに満たされ、ずっしりと重い心がす〜っと軽くなりました。



 ドクダミは名前から毒を連想させ、独特の強い臭いと繁殖力のため、敬遠する人も少なくありませんが、漢方では十の毒を消すと言われている貴重な薬草のひとつです。昔、母親が身体にいいのよと言って飲ませてくれたドクダミのお茶のことを思い出しました。
 花言葉を調べてみたら「野生」、「白い記憶」、自己犠牲」「野生」の3つがありました。
「野生」は強い繁殖力から、「白い記憶」はドクダミの葉を揉んで傷を治してくれた母親の懐かしい面影のイメージに由来しています。「自己犠牲」は毒を消す作用を持っていることから、自分の命を犠牲にして人の役に立つイメージに由来していることが分かりました。殺菌や毒消しの薬効があって人を助けるのに、毒草のような名前がつけられて人から敬遠されるのもある意味では自己犠牲かもしれません。
 この花は日陰にひっそりと、必要がなければ刈られてしまう運命だと分かっていても、強くたくましく、誇り高く、揺ぎなく、必要な時に必要な人のために白い十字架の花を咲かせるのです。自分につけられた名前も、人からどう思われているかもまったく気にしていないのでしょう。もし、花に心があるのならそれは唯々、無心の境地で精一杯、その季節を生きることだと思います。花から生き方を教えられることはたくさんあります。

 私も自分に与えられたこの生命を一途な心で、前向きにひたむきに生きていきたい。自分を捨てて誰かのために…。
来年、修道院の庭にドクダミの花が咲くのが楽しみです。