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Sr.船田 由美


 ・志願期の時でした。教会で一緒に仕事をしていたTさんから驚きの手紙をい ただきました。長上に話した後、母に手紙を書きました。「私が信頼しているHさん にこの手紙を見ていただき2人で主任神父様を訪ねて下さい」と。数日後に届いた Hさんからの手紙には「主任神父様に話すとTさんは教会を離れるでしょう。だから 話さないほうが良いと思います。船田さん辛いけれど我慢して下さいね。」と書か れていました。辛い日が続きました。志願者の私は共住生活を教わりながら一日一 日を生きていくのが精一杯でTさんの手紙はいつの間にか忘れました。

 月日は流れ、主の慈しみのうちに終生誓願宣立の1991年9月14日十字架 称賛の祭日を迎えました。私は驚きました。聖堂の一番後ろの席にTさんの姿を見 つけたのです。首をうな垂れ肩を落としてすわっている苦しそうなTさん。なんと 声をかけたらいいのかわかりませんでした。私は無言のままそっとTさんの両肩に 手を置きました。私の心は静止していました。考えることも感じる事もできない数 分間でした。そして、黙ってTさんから離れました。ミサ後、聖堂にTさんの姿はあ りませんでした。 

数年後、Tさん帰天の知らせを受けました。最期まで教会を離れなかったことを 知り、主に感謝しました。そして今年、Tさんが全ての苦しみから解放されてニコ ニコしながら「ふなあさん」と言ってお顔を見せて下さいました。私は「あ、天国 にいらっしゃる」とすぐわかりました。Tさんの苦しみはどれほどでしたでしょう。 終生誓願式に出席するのにどれほどの勇気がいったでしょう。Tさんは愛によって 苦しみを乗り越えられたと思います。Tさん、天国で祈っていて下さいね。Tさん、 ありがとう。主に、賛美と感謝。

・入会前にAさんというどうしても許せない人がいました。修練期の時、黙想 指導の神父様にそのことを告解致しました。神父様は聴いて下さった後、「今は許 せなくて良い。今は許せなくて良い。」とおっしゃって下さいました。そのことばは、 今はこんなに弱い信仰しか持っていない私への主イエスの優しさに思えました。そ の人を許すことの出来ない原因も辛いものでしたが、許せない私であることも大き な苦しみでした。


 そして今年のある日、友人からAさんが重い病気で苦しんでいる知らせを受け ました。その時私の心の奥から「Aさん、ありがとう」という優しい温かいことば が昇って来ました。主が下さった真のことば。そこにはもう「許せない心」はあり ませんでした。「父よ、彼らをお赦し下さい。」「互いに愛し合いなさい。赦しあい なさい。」御自分の身をもって極みまで愛、赦しを生きられたイエス。恥をもいと わず十字架を受け止められたイエス。私を罪から解放し真の自由と喜びに招いて下 さる小道。このイエスにならいたい。でも今の私は頭でわかっているだけ。イエス の真実の呼びかけはやはり怖い。でもその道を歩みたい。

・あることで許せない姉妹がいました。告解でその苦しみを神父様に話しまし た。勧めを下さる時、神父様は何度も「栄光、栄光」とおっしゃいました。告解は そこで私を待っていて下さる主イエスにお会いする場です。だからそこでいただく ことばは司祭を通して主が語って下さっていることばだと思います。

 私は主に祈りました。「あなたの栄光は、いつどこにどのように現れますか?」 そして土曜日の夜、主の栄光は私の心に留まりました。恵みをいただいたのがわか りました。私はすぐに許せない姉妹にメモを書きました。「明日、少し時間をとっ て下さいますか?」そして私は彼女に言いました。「あることであなたを許すこと が出来ませんでした。どうぞその私を許して下さい。」私一人ではとても言えない ことば。主が言わせて下さったことば。一歩踏み出す事が出来ました。自我に生き ている時が一番苦しい。終生誓願の時に主からいただいた標語「はい父よ!」とタ イトルの「十字架につけられたイエスのSr.由美」を日々生きられる時こそ真の幸せ。 主よ、最期まであなたに倣って生きていきたい。助けて下さい。母マリアいつも祈 っていて下さい。