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Sr.大場 さち


 その年の復活祭の夜、私はJR茂原駅発白子車庫行き の最終バスで修道院に着いた。玄関に出てくださった シスターに「きょうは、もう来ないのかしらと思った。」 と言われてしまった。
 ドアがいたとき、私の心がパッといたのを感じた。 すぐに用意されていた食事をいただいた。シスター達は沈黙のうちに片づけをしていた。
こうして初日からシスター達には迷惑を掛けることになってしまった。 

 その日の昼過ぎ、腹の底から突き上げてくる苦しさに深いため息をつきながら持 って行く荷物を前に座り込んでいた。今、家を出ないとバスも無くなると自分に言 い聞かせて立ち上がった。その部屋の窓から北側の外を眺め、隣りの八畳間に行っ て東と南側の外の様子を見、部屋を見回してから下に降りていった。
 背後で肩を落としている私に「大丈夫なの?」と言う妹に「ううん」と言って、 それ以上何も言わなかった。それから玄関に続く廊下に座り、障子を開けて六畳間の ベッドに寝ている母に「お母さん行きます」と挨拶すると、母は「体に気をつけて」 と言うと顔を横に向けてしまった。涙を見せたくなかったのだろう。
 玄関のドアを閉めると、私は“時が来るまで実家には絶対に帰らない”と心に誓 った。

 入会前の黙想と生活体験中、私は姉(私が中学生の時、母が倒れ、その時以来親代わりになっていた)に修道会に入ることを決めたと手紙で知らせた。翌日、姉か ら速達が修道院に届き、世間で信仰を生きた方がどれ程いいかとあったが、私の心 は揺らがなかった。修道院で幸せに生きていれば何よりの証しだと思ったからだ。
 志願期を終えて、修練期に入るお許しをいただき、修練期開始の日をアビラの聖 テレジアの記念日の日を選んだ。アビラに何度か行って、聖女の生家や修道院で自 分の召命のために祈ったことがあったからだ。一年もたたない翌年の8月の末、修 練長から「家に帰ってお母さんを見舞ってらっしゃい。」と言われ、まだ家に帰る のは早いのにと思いつつ、実家に帰った。
 母とはことばを交わすことは出来なかった。胸に愉気をしてあげるととても気持ち 良さそうだったが、私の方が耐え切れなくなって、その場を離れてしまった。

 帰院して4日後、姉からの知らせで母が危篤であることを知らされた。“お母さ ん。お母さん。”翼があったなら、飛行場が近くにあったなら、飛んで帰りたかった。 当時はまだ成田空港は無かった。今では車で1時間で行ける。修練長から「この間、 会ってこられたし、今から行ってももう間に合わないでしょう。」と言われ、「はい。」 と思いにけじめをつけて、すべてを神様に委ねた。

 修練期は養成のため、会の精神、会則、聖ベネディクトの戒律等、神のうちに生き、 祈りの人になることを学ぶ恵みの時である。種々の学びの中で、会則の中にあった この項目が心に染み込んだ。
“親しい人々から離れるようにとの主の招きは、当然 犠牲が伴う。この犠牲を寛大に受け入れると細やかな心づかいになり、近親者の生 活に深い思いやりがもてるようになる”
 家を出るとき、主イエスは私の重い心、 体をどれ程の愛と力で、押してくださったか、今そのことを思うと、自分の力では 出来ることではないことだったと思い起こす。

 修院付司祭によって、毎日ミサに与れること、年の黙想やいくつかのセッション を通して、自分を知り、成長させてくださる機会を与えられる事は大きな喜びであ る。
 名古屋でカテキスタの勉強をしていた時、教会史の講義の中で各修道会の創立者 についての説明に聖ベネディクトの精神は“一人一人を重んじる。”という講師の 話が深く心に留まり、実際に共同体で生きて実感したことだった。一人一人の個性 を活かし、寛大であることを。


 終課(その日の仕事を終え、一同、聖堂で祈る寝る前の祈り)の結びの祈願で心 が広がり、明日への希望を与えられる祈りがある。

主日に 
主よ、つつしんでお願いいたします。今日、わたしたちは御子の復活の神秘を祝 いました。どうか、あらゆる災いを免れて平安のうちに憩わせてください。そして、 明日の朝、喜びをもって再びあなたへの賛美の歌を歌うために目覚めることができ ますように。私たちの主イエス・キリストによって。

他の曜日に
 慈しみ深い父よ、わたしたちを罪の重荷から解放してください。夜を迎える今、 全世界の上にみ手を広げてください。これから一日を始めようとする人々とこれか ら眠りにつこうとするわたしたちがあなたのうちに一つに結ばれますように。 私たちの主イエス・キリストによって。 日々、全世界のため、全教会の発展のため、現代社会のため、人々の救いのため、 教皇様、司祭、修道者、信徒のため、恩人、友人、家族、又、特別な意向で度々祈 っている。  聖書のことばに常にふれ、味わい、賛美することが出来ることは何よりの恵みと 喜びである。