白子よいとこ、一度はおいで 以前一人の姉妹がウクレレで替え歌を歌ってくれました。 45年前、白子の地に念願の自分たちの修道院が建ち、いよいよ引っ越しすること になり、神言会の建物に間借りしていた私たちは、風光明媚の多治見市を離れるこ とになりました。8月の暑い盛りの日でした。 東京を通過し、千葉に入りました。そして、白子の地に入った頃、「えっ!何! 山も丘もないよー!」真ったいらな土地。私の生まれ育った群馬県は、嶺の連なる 雄大な山々が遠くに見えていました。ここは見回しても何も見えない・・内心「こ んなところに修道院を建てたの?・・・」 夜になったら、もっと大変。ゴー、ザーと凄まじい音。「何?あの音、腹の底 から響いてくる地獄の音!! 「あれは海の波の音よ」誰かが教えてくれました。 益々、逃げ出したくなりました。数年間夜の波の音には慣れませんでした。 さら に、町の名前が「しらこ」、子供の頃私は非常に肌が白かったらしく、学校へ行く と男の子たちから「しろっこ、しろっこ、気味悪う」とはやされたのを思い出したのです。 よりによって「しらこ」とは・・ でも住み始めてから気が付いたことがありました。 地元の人々の優しさ、親切、気の良いところ。私たちはこの人々のお蔭でやってこられました。 近隣の人々から、お店の人々から、業者の人々から、役場の人々から、福祉に携わっ ている人々から、医療の人々から・・平常の時も、困った時にもどれほど助けて頂い たことでしょう。 おそらく他の土地では、出会えないほどの思いやりです。私は白子の人々の中で暮 らす幸せを感じてきました。 修道院へ入ってから十数年振りに故郷へ帰った時のこと、あまりの変化に驚愕し ました。家の周りにあった広い田んぼが消えていました。その代りに広い道路が造 られ大型店が並んでいるではありませんか。 あのこんこんとわき出ていた清水も水神さまの鳥居もあぜ道もありませんでした。 もう、ここは私のふるさとではなくなった・・そう実感しました。 白子に戻ったとき、あゝ今ここが私の本当のふるさとだと・・。テニスコートと サッカー場が増えたといっても、まだ広い田んぼがある、白鷺、こい鷺、カモ、海 鳥が田んぼの上で翼を広げ飛び交っている。私は田んぼの間の農道を日曜日に歩く。 祈りながら、幸せを味わいながら。冬にはツグミやモズ、春にはひばりやウグイス、 そして、裏の用水路には亀の家族が棲んでいる。 海。波の音にも慣れてきて海まで行く。雄大な太平洋! 雄大な山々を見て育っ た私ですが、ここ、白子にも果てしない大海原の雄大さがすぐ目の前にあったので す。この白子町には自然が豊かに生きているのです。だから人々の心も豊かなので しょう。 私たちは用事のある時にしか外出しませんし、町のイベントにも参加しません。 でも町の行事や出来事、人々の暮らしや経済などに関心を持っています。今年は コロナのために多くのホテルの窓が真っ暗な日が続き、テニスコートから歓声も聞 こえなくなり、心を痛めていました。9月の末頃からやっと子供たちの声がホテル から、テニスコートから聞こえて来た時はほっとしました。 私たちは、第一の使命である祈りを通して町の人々と連帯しています。そして町 の人々の働きと共に神に賛美を日々捧げ、この祈りの中で、この町で生かされてい る感謝を神に捧げ、又人々への感謝を込めています。 さて、白子町も交通の便が良くなり、東京駅と千葉駅には高速バスが走るように なりました。皆さまが東京や千葉からいらっしゃる時に「ハッと驚き!修道院」と 覚えておけば良いのです。それは、 ![]() |