2020 年 12 月 5 日土曜日、ここ白子町の平和の元后 修道院の聖堂で、私は初誓願から 25 年、銀祝のミサ をしていただきました。コロナのため、盛大にする ことはできず、マスク着用でした。はじめは残念だ と思いましたが、あとから写真を見たら皆がマスク をしている姿が印象的で、これもなかなか珍しいめ ぐり合わせだから、かえって良かったのかもしれな い、と考え直しました。

 1995 年 12 月 8 日、無原罪の聖母マリアの祭日に初誓願を立てましたが、 その日のことは正直に言えば、ほとんど覚えていません。 ただ、立願者のしるしである木の十字架がうれしくて、母に「これが欲 しかったのよ!」と言った記憶があります。姉妹たちによれば、母はミサのはじめ から終わりまで泣きどおしだったそうです。確かに記念写真の母は、ハンカチを握 りしめていました。その母はもう帰天して 21 年たちます。天国で、私の銀祝のミ サを見てくれていたことでしょう。

 しかし、このお祝いのミサで、私は大失敗をしてしまいました。式の大事な場面、 神さまに自分自身をお捧げする Suscipe の独唱の最後で、ラテン語の歌詞を忘れ てしまったのです!ただでさえ大きな声の私が、思い切り大声で歌い出したところ へ、突然の沈黙......司式してくださっていた野口神父さまの方を見ると、神父 さまの目もパニック。けれど、何ということでしょう!マスクをしていらっしゃる ので、口元が見えず、きっと忘れた単語を教えてくださっているに違いないことは わかっても、私には見えません。ああ、神さま!

 けれど、実際にはこの沈黙はそれほど長い時間ではありませんでした。私自身に はほとんど永遠に思えましたが、天使がささやいてくれたのか、急に思い出すこと ができ、なんとか歌い終わることができました。でも全身冷汗。おかげでそのあと も何かの動作を間違え、せっかく義妹が送ってくれた素敵な白の布マスク(この日 のためにとっておいたものです)はひもが解けてしまい、式の最中に結び目を作る のに必死でした。どうして私はいつもこういうふうになってしまうのかしら?せっ かくビシッと決めたいのに、たいてい何かのアクシデントが起こるのです。

 でもアクシデントと言えば、私のこれまでの人生がずっとそうだったようです。 けれどもそれで私は不幸になったのでしょうか?アクシデントというとネガティブ に聞こえますが、神さまの目から見ると、それは私に対する神さまの恵みの介入の 時だったようです。だから私は、相変わらず毎日の生活の中で転んだり滑ったりし ながらも、幸福なのだと思います。人それぞれ幸福と感じることは違うかも知れま せんが、私にとっては、心の満たし、愛されていることそして愛することができる ことと言えます。

 外面的にいろいろなつらいことがありましたし、内的試練もありました。これか らもあるでしょう。でも、たとえどうあろうとも、神さまが私の根幹であられること、 神さまのみ言葉は必ず実現することを体験させていただいているので、私のこれか らの残された人生において、神さまの慈しみをいただき、それを生きることができ さえすれば、感謝のうちに歩み続けることができると思います。神さまが誓願 50 周年の金祝をこの地上で祝わせてくださるかわかりませんが、命のある限り、神さ まへの賛美と感謝を歌い続けてゆきたいと願っています